エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

バスツアー紀行(3の3)

2006-02-21 | 旅行
バスツアー紀行(3の2)続き

第2日 (2/16) 八ヶ岳~甲府~河口湖~アクアライン~富浦

 八ヶ岳と富士の眺めを一番楽しみにしていたが、高原は朝から霧雨に煙っていた。
雨の中、バスは至る所ブドウ棚が広がる甲府市石和のワイン工場へ。各種ワインの試飲はとても美味しかった。甘いカリン入りのワインを求めた。石和温泉には長男が1歳のころ、家族で泊まったことがあった。あれから30年余、その折りに観光ぶどう園で妻に抱かれ、ブドウに手を伸ばす息子の写真が残っている。そこで、妻に水晶の指輪をプレゼントしたことを思い出した。
 石和から河口湖へ、雨は止んだがどんよりした雲に覆われ、富士は全く望めなかった。本当に残念だった。またの機会に富士をじっくり眺める旅をしたいと思った。
後は東名道をひた走り、一路房総をめざした。途中アクアラインの海ほたるへ寄った。東京湾のど真ん中、当然のごとく横なぐりの雨降りだ。展望台で記念撮影をしてすぐにバスへ戻った。
横浜から千葉へは海の上を一またぎだった。今、高速道は木更津から君津までで、あちこちで延長工事中であった。沿道の山は海の底にありそうな形をしていて、右手に鋸山を眺めながら2日目の晩を過ごす富浦へ向かった。

第3日(2/17) 富浦~花倶楽部・水仙郷~成田~水戸~郡山

朝ホテルのロビーから太平洋を望み写真撮影。植え込みには南国を思わせる、5~6メートルもあるシュロの木が茂っていた。道路沿いの畑には菜の花がきれいに咲き、自生する枇杷の花も白い花を付けていた。その名も道の駅、枇杷花倶楽部でポピーの花摘みをした。


これから咲くのを楽しみに、同じ株の色を頼りに大きなつぼみを10本摘んだ 摘み取ったポピーのつぼみは、バスの中の暖かさではじけて、あちらこちらで華やかに咲き始めていた。安田港近くの水仙郷では、もう水仙の花は終わりに近かった。その売店でギラと言う魚の干物をあぶって試食し、土産に買った。初めて見る、小さなタナゴのような魚はヒイラギというらしい。くすぶる煙が静かに立ち上る山里の畑は、白いウメが満開で、まさに春の桃源郷であった。
 長時間の、狭いバスの旅は少々つらい。ひた走り、成田山新勝寺へついたのは午後1時を廻っていた。小学生のころ家族でお参りした写真が残っているが、まったく記憶にない。
 ご本尊の不動明王にお参りした。慈悲にすがりたいが、私のお参りはいつも自分を叱咤激励し、自己の心をまとめる所作である。
 最後の観光は水戸偕楽園。
   
数日後から梅祭りと言うが、ウメはまだ早かった。何とか早咲きの紅梅を楽しむことができた。偕楽園近くの千波湖にも数は少ないがハクチョウが飛来していた。また、ここで初めてコクチョウを見た。5,6羽いたが、珍しいので写真に撮った。後から調べたら、オーストラリア原産の鑑賞用種で、どうも飼育されているようだ。
 水戸からは約170キロくらいか、乗り継ぎの「会津若松行き」高速バスに間に合うように郡山駅に到着した。ツアー参加はほとんど福島からで、若松からの参加は、他にいないようだった。
 雪の残る自宅についたのが9時半、すっかり冬に逆戻り、雪がチラチラ舞っていた。
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 2泊3日のバスツアーを終えて、簡単な紀行をまとめた。
狭いシートに同じ姿勢で座っての長旅だったが 、ぶらりと何も考えずに気楽な旅だった。静かに、諸々こころの整理もできた。何よりも、今回の小旅行は、はからずも青春の思い出の地を巡る旅のようであった。
 たまの旅行は良い。普段と違った状況で目にするものはすべてが新鮮で貴く思われる。人生もそんな新しい出会いの旅でありたいと思った。

【バスの走行距離】 1日目:約480km、 2日目:約295km、 3日目約410km
運転手さんは一人でした。本当にお疲れさまでした。ありがとうございました。

バスツアー紀行(3の2)

2006-02-21 | 旅行
バスツアー紀行(3の1)続き

上田~別所温泉~松本~諏訪~八ヶ岳

   
 かつて蝶を求めた山麓には高速道路が走り、そこに懐かしの自然はもう無かった。
昔、街を見下ろす山裾には、オオムラサキ、スミナガシ、ヤマキチョウ、メスアカミドリシジミが舞っていた。ウメの木の周囲を悠然と旋回していたオオミスジが目に浮かんだ。
 多少ショックだった。今はもう無いあの山道、あのクヌギ林など、小さな自然を犠牲にして今の景色や便利さがあると思うと、複雑な気持ちであった。
 ICを下りて上田の街へ下ると、そこにも当時の面影は見つけようとしても見つからなかった。一昔前に大学生活を送った上田の街並みが懐かしく思い出された。変わらないものは、周囲の山々だった。太郎山には逆さ霧がかかっていた。冬の時期、どんなに上空が晴れ上がっていても、山頂から上田の街の方へ霧が滝のように流れていた。学生のころ、逆さ霧だと教えられた。あれから、まぼろしのごとく過ぎ去った40年の歳月がよぎった。静かに自分を見つめながら、昔と同じ山容を写真に納めた。
 別所温泉では外湯に入った。確かに学生のころ入浴したことがあったが、全く記憶がない。脇に聳える獨鈷山は私のヒメギフチョウ観察のフィールドだったので鮮明に覚えている。北向観音、愛染カツラの大木にかすかに記憶が蘇った。思い出は限りなかった。
《北向観音(別所温泉)》
《獨鈷山》

 別所温泉から八ヶ岳のホテルをめざしたが、佐久から小海線沿いのコースを取ると思っていたが、バスはなんと懐かしの松本市へ向かった。松本は妻の里、思い出も限りない。義姉の住まいのすぐ脇を通り、中央高速道に乗った。途中の夕闇に包まれた諏訪湖も美しかった。諏訪湖では、学生のころ臨湖試験場での環境水質調査をしたことがある。ボートで湖水へ繰り出し、山の仰角で湖畔からの距離を求めながら、湖水のサンプリングをした記憶がある。
 使われずにいた引き出しから、次々と、突然に呼び起こされる記憶。閉められたままの情報の痕跡がほとんどであろうが、なんと不思議なものか。
 降り始めた雨の中、八ヶ岳山麓の1日目の宿に入った。

バスツアー紀行(3の3)へ続く


バスツアー紀行(3の1)

2006-02-21 | 旅行
            【懐かしい浅間連山】
 2/15~2/17(2泊3日)、バスツアー「別所温泉と八ヶ岳・富士・房総花めぐり」に妻と2人で参加した。
以下に、簡単に紀行をまとめる。

第1日 (2/15) 会津~郡山~前橋~小諸
 真冬の会津を離れて関東へ、畑には新しい緑が萌え陽光うらら、那須の連山がかすんで見えた。木々の広げる枝に、街の空気に穏やかな春が感じられた。
 東北自動車道を南下、佐野ICから前橋へ。郡山を過ぎてからの全行程中に雪はなかった。関越道に入り、釜飯で有名な横川SAから妙義山を仰ぎ、直線の碓氷トンネルを抜けると信州、急に視野が広がり雄大な浅間山が見えてきた。
 もう30数年も昔、学生時代に信濃追分から浅間をスケッチしたことがある。その絵の余白には、
 「絵の具を溶くに水なし、畑の吹きだまりの輝ける残雪に吐息す。
  雪水に溶けた絵の具は丁度氷ミルクの如し。
  爽やかな寒中、大自然に抱かれしばし佇む。
  今、ひとりぼっちで自然と対話する喜びがこみ上げる。
  おまえは何をしてきたのだ。・・・・山々の雄姿が呼びかける。」 とある。
車窓の浅間連山をながめながら、この信州の山懐に抱かれ過ごした、青春の6年間の懐かしい思いが込み上げてきた。
 カラマツ林はまだ冬のままで、浅間の山肌に細い雪の襞が白く流れていた。
 高速道は懐かしい小諸から上田へ。小諸の懐古園に何度か藤村の足跡を訪ねたことを思い出した。
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藤村ゆかりの土地を訪ねたい

 私は藤村が好きだ。あの七五調の心動かされる詩歌がいつもそばにあった。
 藤村との出会いは高校の教科書であった。
「ついに新しき詩歌のときは来たりぬ・・・」
「まだあげ初めし前髪の・・・」
「小諸なる古城のほとり雲白く遊子悲しむ・・・」
 思えば藤村は、我が人生に影響を与えた作家の一人だ。
 この春、母の米寿にお祝いで大磯に行った折りのこと。朝散歩に出ると、旧島崎藤村邸の標識が目についた。それは全くの偶然だった。藤村とこの地がどういう関わりがあるのだろうか。晩年、未完の「東方の門」を執筆した草屋が静かなたたずまいで残されていた。これを機に、改めて馬籠、仙台、小諸、東京、大磯を結ぶ彼の生涯をたどってみたいと思った。
 先日は三十年ぶりに小諸の記念館を訪ねた。これらゆかりの地を訪ね日々の思いに接しながらまた一年が暮れようとしている。     (2001.12)
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《バスツアー紀行(3の2)に続く》