【癒された病室からの緑の街】
足下にチヂミザサがいっぱいの穂を付け、勢いよく静かな庭を占領している。
先週の台風9号以降、秋の雨降りが続いたせいもあったろうが、今しばらくぶりに見る秋の庭の緑は、とても生き生き見え、たしかに病床で夢見た癒しに違いなかった。
病床でいつも思ったことは、庭の緑、虫たちを見ながらの幸せな日々だった。突然その当たり前の生活が奪われた辛さ、切なさを痛感した。愛犬ラックとの散歩、スズムシや金魚の世話、デジカメでの花や虫たちの撮影、盆栽への散水、こんな当たり前の日常が突然に無くなった切なさだ。
病院では、いつも目を閉じて庭を一巡りしていた。門柱の上のミセバヤのつぼみは大きくなっただろう。柿の木の下のムクゲもまだ咲き続けているだろう。ハゼの盆栽の水は大丈夫だろうか。ピンクや赤、橙色のゼラニュウムの花はもう終わってしまっただろうか。ほころび始めたアキノキリンソウやトラノオにセスジツユムシが止まっている。そんな秋の庭のようすが目に浮かんできた。
入院以来、一歩も外の空気の吸えない数日は11階の病室の窓越しに広がる美しい伊勢原の緑の街は、ひとときの救いだった。流れる雲を眺め、ゆっくり、おおらかに生きたいと思った。早く元気になって家に戻りたい、当たり前の生活がしたい。そんな日々だった。
辛い夜が明け、朝日に点滴の袋、チュープが輝く。また元気になれるだろうか。日に日に具合が悪く、悪化して衰えていく身体を見つめて落ち込むこともあったが、多少は不自由でも、耳が聞こえ、目が見える幸せを考えた。最愛の家族に囲まれて、一日一日を大切に過ごしたい。苦しみのあとにはきっと楽しみがあると。
また、周囲はこんなちっぽけな人間に本当に親身になって励ましてくれた。ありがたく、切なく、涙が込み上げてきた。
肯えないが現実だが、今回の入院もいろいろなことを教えてくれた。思えば大手術から4年、その後5度目の入院だったが、またいろいろ教えられた。病気は厄介者でなく、これまで以上に病気について詳しく勉強して、病気と仲良くしたいと思っている。嘆いてばかりはいられない。もっと気丈に、強く生きていきたい。
2週間歩かないでいた。ラックと散歩に出た。秋の実りを見つけながら、ゆっくり歩いた。少しづつ身体が元に戻りつつあると感じている。
稲穂はもう黄金に色付き始めていた。
足下にチヂミザサがいっぱいの穂を付け、勢いよく静かな庭を占領している。
先週の台風9号以降、秋の雨降りが続いたせいもあったろうが、今しばらくぶりに見る秋の庭の緑は、とても生き生き見え、たしかに病床で夢見た癒しに違いなかった。
病床でいつも思ったことは、庭の緑、虫たちを見ながらの幸せな日々だった。突然その当たり前の生活が奪われた辛さ、切なさを痛感した。愛犬ラックとの散歩、スズムシや金魚の世話、デジカメでの花や虫たちの撮影、盆栽への散水、こんな当たり前の日常が突然に無くなった切なさだ。
病院では、いつも目を閉じて庭を一巡りしていた。門柱の上のミセバヤのつぼみは大きくなっただろう。柿の木の下のムクゲもまだ咲き続けているだろう。ハゼの盆栽の水は大丈夫だろうか。ピンクや赤、橙色のゼラニュウムの花はもう終わってしまっただろうか。ほころび始めたアキノキリンソウやトラノオにセスジツユムシが止まっている。そんな秋の庭のようすが目に浮かんできた。
入院以来、一歩も外の空気の吸えない数日は11階の病室の窓越しに広がる美しい伊勢原の緑の街は、ひとときの救いだった。流れる雲を眺め、ゆっくり、おおらかに生きたいと思った。早く元気になって家に戻りたい、当たり前の生活がしたい。そんな日々だった。
辛い夜が明け、朝日に点滴の袋、チュープが輝く。また元気になれるだろうか。日に日に具合が悪く、悪化して衰えていく身体を見つめて落ち込むこともあったが、多少は不自由でも、耳が聞こえ、目が見える幸せを考えた。最愛の家族に囲まれて、一日一日を大切に過ごしたい。苦しみのあとにはきっと楽しみがあると。
また、周囲はこんなちっぽけな人間に本当に親身になって励ましてくれた。ありがたく、切なく、涙が込み上げてきた。
肯えないが現実だが、今回の入院もいろいろなことを教えてくれた。思えば大手術から4年、その後5度目の入院だったが、またいろいろ教えられた。病気は厄介者でなく、これまで以上に病気について詳しく勉強して、病気と仲良くしたいと思っている。嘆いてばかりはいられない。もっと気丈に、強く生きていきたい。
2週間歩かないでいた。ラックと散歩に出た。秋の実りを見つけながら、ゆっくり歩いた。少しづつ身体が元に戻りつつあると感じている。
稲穂はもう黄金に色付き始めていた。