【法用寺 三重塔】
数日前、2日間にわたり4時のNHKラジオ深夜便を聴いた。作家・久木綾子氏の「瑠璃光寺五重塔に魅せられて」だ。
初めて聞く、歴史小説「見残しの塔―周防国五重塔縁起 」の著者は89歳、声と言い、話しの中身は驚くほど若かった。
ネットの書評には、「人は流転し消え失せあとに搭が残った。搭の名は瑠璃光寺五重塔。中世室町。五重塔の誕生をめぐる人びとの数奇な運命を描く歴史小説の大作」とあった。
著者は「塔を建てた人を描いてみたい」と思ったが、どの塔にもその誕生にかかわる歴史、人間ドラマがあったに違いない。まさに「人は流転し消え失せあとに塔が残った。」であろう。
瑠璃光寺五重塔については、いつか司馬遼太郎のDVD「街道をゆく」で触れていたなと思ったが、ラジオを聴きながらなぜかいつか感動した山形の羽黒山の五重塔を思い浮かべて聴いていた。また、驚いたことに、今度は、羽黒山の塔を書きたいらしい。
瑠璃光寺の五重塔は、奈良の法隆寺、京都の醍醐寺と並び日本三名塔に数えられるそうだ。いつか瑠璃光寺五重塔を見てみたい。そして著書「見残しの塔」を読んでみたいと思っている。 また、日本各地の塔にも関心が湧いた。
著者は塔の建築技術や中世史など学び、時代考証に万全を期した緻密な時代考証をもとに、構想が十四年、執筆に四年かけた作品だ。ご主人が逝去され70過ぎから執筆を始めたという。何より、徹底した取材にあらためて驚いた。すごいと思いつつ、自分にもこれからでも遅いと言うことはない、何かやりたければ遅いと言うことはないと勇気も湧いてきた。
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久木 綾子(ヒサギ アヤコ)
1919年、東京生まれ。東京育ち。旧制高等女学校、専門学校卒。戦時下、陸軍情報局監理下に置かれた松竹大船撮影所報道部に記者として勤務したことがある。同じ頃、三笠書房社主竹内道之助氏主宰の同人誌『霜月会』の同人となり、小説を書き始める。終戦の年、山口県人の池田正と結婚。義母は、池田くら。福井県小浜市の新田長太郎の姉。長太郎は、昭和天皇に、「新田義貞の戦略」で御前講演をしたことがある。結婚後は主婦専業。平成元年、夫に先立たれ、再び文学に戻る
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数日前、2日間にわたり4時のNHKラジオ深夜便を聴いた。作家・久木綾子氏の「瑠璃光寺五重塔に魅せられて」だ。
初めて聞く、歴史小説「見残しの塔―周防国五重塔縁起 」の著者は89歳、声と言い、話しの中身は驚くほど若かった。
ネットの書評には、「人は流転し消え失せあとに搭が残った。搭の名は瑠璃光寺五重塔。中世室町。五重塔の誕生をめぐる人びとの数奇な運命を描く歴史小説の大作」とあった。
著者は「塔を建てた人を描いてみたい」と思ったが、どの塔にもその誕生にかかわる歴史、人間ドラマがあったに違いない。まさに「人は流転し消え失せあとに塔が残った。」であろう。
瑠璃光寺五重塔については、いつか司馬遼太郎のDVD「街道をゆく」で触れていたなと思ったが、ラジオを聴きながらなぜかいつか感動した山形の羽黒山の五重塔を思い浮かべて聴いていた。また、驚いたことに、今度は、羽黒山の塔を書きたいらしい。
瑠璃光寺の五重塔は、奈良の法隆寺、京都の醍醐寺と並び日本三名塔に数えられるそうだ。いつか瑠璃光寺五重塔を見てみたい。そして著書「見残しの塔」を読んでみたいと思っている。 また、日本各地の塔にも関心が湧いた。
著者は塔の建築技術や中世史など学び、時代考証に万全を期した緻密な時代考証をもとに、構想が十四年、執筆に四年かけた作品だ。ご主人が逝去され70過ぎから執筆を始めたという。何より、徹底した取材にあらためて驚いた。すごいと思いつつ、自分にもこれからでも遅いと言うことはない、何かやりたければ遅いと言うことはないと勇気も湧いてきた。
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久木 綾子(ヒサギ アヤコ)
1919年、東京生まれ。東京育ち。旧制高等女学校、専門学校卒。戦時下、陸軍情報局監理下に置かれた松竹大船撮影所報道部に記者として勤務したことがある。同じ頃、三笠書房社主竹内道之助氏主宰の同人誌『霜月会』の同人となり、小説を書き始める。終戦の年、山口県人の池田正と結婚。義母は、池田くら。福井県小浜市の新田長太郎の姉。長太郎は、昭和天皇に、「新田義貞の戦略」で御前講演をしたことがある。結婚後は主婦専業。平成元年、夫に先立たれ、再び文学に戻る
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