エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

春を訪ねる 2  思い出の川俣

2009-03-11 | 旅行
          【玄関の絵  30年前の 広瀬川の流れ】

ここ数年、この時期には、飯坂温泉でささやかないのちの洗濯をしている。温泉の往き帰りに、周囲の訪ねたいところを廻ってきた。今回の寄り道は、1年ぶりの福島に花見山を訪ねることだった。
 まず、猪苗代の翁島に寄り、雄大な磐梯のもとハクチョウたちに別れを告げた。
(参)3/10のブログ 「春を訪ねる1 北帰行を前にしたハクチョウ」

 猪苗代から高速道に乗った。突然、懐かしい川俣へ寄ってみたい思いに駆られて、高速を二本松ICで下りることにした。折角なので、かつての同僚K先生を訪ねようと、SAで土産を準備した。

 飯野から川俣へ、懐かしい道を車を走らせた。30年も前とは道路もかなり違っていた。途中、ほころび始めたウメや福寿草を見かけると、車を止めて写真を撮った。やはり、県中地方には一足早い春が訪れていた。 
 10年ほど前に立ち寄ったが、街の廻りに大きなバイパスが通り、手前には大型の量販店が建ち並び、また街の様子が変わっていた。街の中心街に入ると車をゆっくり走らせ、かつての思い出を辿った。
 川俣のメインストリートの商店街はそれなりの活気は見られたが、当時の多くの店はすでに無くなっていた。いつも利用してた八百屋、魚屋さん、本屋さんも店を閉じ、タクシー会社も閉まっていた。幼稚園の息子が通った歯医者さんも、よく利用した食堂ももう何年も前から止めたのだろう、埃まみれの硝子戸に人気が感じられなかった。

 みんな何処へ行ってしまったのだろうか。当時の温もりある街の様子が思い出された。隣近所が助け合い、お店でも日常生活のこころのふれあい、対話があった。
 懐かしい川俣には、6年間勤務した。かつてのお借りしていた家は伝統ある味噌醸造業、広い屋敷には大きな味噌蔵が建ち並び、門から一番奥の広瀬川沿いに建つ古い離れをお借りしていた。おそらく大正か昭和初期の建物だったと思う。木の塀を巡らせた庭には、立派なカイドウ、コウヤマキが植わり、我が家だけが出入りしていた立派な裏門には松が懸崖にかかっていた。小さい子どもたちと裏の広瀬の流れを畔で見つめながら過ごした時代が懐かしく思い出された。今は護岸が改修され川へ下りることは出来ない。あれほど広かった大家さんの敷地はスーパーの駐車場に変わっていた。2階の書斎からながめていた隣の酒屋さんも廃業したのか、全く昔の面影はなくなっていた。
 すべてが今は昔、古き物が無くなる寂しさを痛切に感じた。思えば涙が出るほど良かったあの時代の面影をさがしたがなかなか見つからなかった。すべてが流れ去ってしまったのか。
 かつての勤務校にも立ちより構内を歩いた。若かりしころ生徒と一緒に汗を流した剣道場や、日々楽しく勉強した実習棟での若き日々の一端が思い出された。
 K先生宅に寄り懐かしい話に花が咲いた。
その後、妻と、母とお宮参りをした春日神社へ登り参拝した。そのときと同じように、神社の土手にはオオイヌノフグリが満開に咲いていた。若き日の川俣での時の流れが走馬燈のごとくに蘇ってきた。
 あれから30数年が経ったのだ。
 

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