今日、山形のMさんから新聞コピーが送られてきた。ありがたかった。
山形新聞の「やまがた再発見」で紹介された今井繁三郎についての記事だった。
Mさんとは、今井美術収蔵館の作品がご縁で知り合った山形の詩人だ。
その記事を書かれた森繁哉氏をネットで調べたら、有名な舞踏家で、東北芸術工科大学教授だ。
身体芸術論、東北文化論専攻とあり、『東北からの思考 ー地域の再生、日本の再生、そして新たなる協働へ-』の著書がある。
ふさわしい方による、[風土の人]今井繁三郎を再発見できる記事だと思った。
この立派なダイジェスト記事に、あらためて人間・今井繁三郎画伯を知ることが出来た。
以下は、記事の見出しと小見出し。
《人間を正しく見続ける》
『停滞することを極力遠ざけた作家のように、
今井は死という定点を通過してもなお
私たちの目の前に出現してくる』(上) 山形新聞 (12月20日付)
《生を耕し続ける 風土の人》
『今日という日に、全身を向ける
根を張るように、今井は動くのである。
生きるのである。』(下) 山形新聞 (12月27日付)
記事に「上京した今井は絵画研究所で山本鼎らに指導を受けた。」
「山本鼎たちが唱えていた生活芸術と自由画の結びつきをかたくなに実践」とあった。
山本鼎については、美術の大衆化、民衆芸術運動に身を投じた洋画家であることは知っていた。
それは、学生時代を過ごした信州上田に「山本鼎記念館」があったからだ。
記事を読み終え、改めて手元にある『今井繁三郎作品集』や『泉野』を広げてみた。
『作品集』に添えられた今井先生の折々のコメントからは、人生の歩みが覗えたし、
また、今井繁三郎生誕100年、美術収蔵館開館20周年の記念の思い出集『泉野』には、先生の素顔、人となりがよく伝わってきた。
(泉野は、今井が提唱した旧羽黒町の名称である。)
風土の画家の生き抜いた人生をたどりながら、道も境遇も違うが、今井画伯と同じ明治43年生まれの父の生涯を重ねた。
もちろん誰もが精一杯に生き抜かなければならない時代だったかもしれない、ぬくぬくした我々小人とは比べようもない生き方を思ったりした。
新年早々に、思いがけなく恵まれたMさんからの新聞記事で、またいろいろ学ぶことが出来た。
そもそもは、もう十数年前、羽黒山参拝の帰り道に今井美術館収蔵館に立ち寄った偶然から始まったことだ。
最近、こうした偶然を、「意味ある偶然」と言うことを知った。
今井美術館から得られたいろいろな「偶然の出会い」から、沢山の大きな喜びを貰ったと思っている。
山形新聞の「やまがた再発見」で紹介された今井繁三郎についての記事だった。
Mさんとは、今井美術収蔵館の作品がご縁で知り合った山形の詩人だ。
その記事を書かれた森繁哉氏をネットで調べたら、有名な舞踏家で、東北芸術工科大学教授だ。
身体芸術論、東北文化論専攻とあり、『東北からの思考 ー地域の再生、日本の再生、そして新たなる協働へ-』の著書がある。
ふさわしい方による、[風土の人]今井繁三郎を再発見できる記事だと思った。
この立派なダイジェスト記事に、あらためて人間・今井繁三郎画伯を知ることが出来た。
以下は、記事の見出しと小見出し。
《人間を正しく見続ける》
『停滞することを極力遠ざけた作家のように、
今井は死という定点を通過してもなお
私たちの目の前に出現してくる』(上) 山形新聞 (12月20日付)
《生を耕し続ける 風土の人》
『今日という日に、全身を向ける
根を張るように、今井は動くのである。
生きるのである。』(下) 山形新聞 (12月27日付)
記事に「上京した今井は絵画研究所で山本鼎らに指導を受けた。」
「山本鼎たちが唱えていた生活芸術と自由画の結びつきをかたくなに実践」とあった。
山本鼎については、美術の大衆化、民衆芸術運動に身を投じた洋画家であることは知っていた。
それは、学生時代を過ごした信州上田に「山本鼎記念館」があったからだ。
記事を読み終え、改めて手元にある『今井繁三郎作品集』や『泉野』を広げてみた。
『作品集』に添えられた今井先生の折々のコメントからは、人生の歩みが覗えたし、
また、今井繁三郎生誕100年、美術収蔵館開館20周年の記念の思い出集『泉野』には、先生の素顔、人となりがよく伝わってきた。
(泉野は、今井が提唱した旧羽黒町の名称である。)
風土の画家の生き抜いた人生をたどりながら、道も境遇も違うが、今井画伯と同じ明治43年生まれの父の生涯を重ねた。
もちろん誰もが精一杯に生き抜かなければならない時代だったかもしれない、ぬくぬくした我々小人とは比べようもない生き方を思ったりした。
新年早々に、思いがけなく恵まれたMさんからの新聞記事で、またいろいろ学ぶことが出来た。
そもそもは、もう十数年前、羽黒山参拝の帰り道に今井美術館収蔵館に立ち寄った偶然から始まったことだ。
最近、こうした偶然を、「意味ある偶然」と言うことを知った。
今井美術館から得られたいろいろな「偶然の出会い」から、沢山の大きな喜びを貰ったと思っている。