エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

十日市

2011-01-11 | Weblog
   【「野口英世青春通り」界隈 田中稲荷神社の出店】

きのうは十日市だった。昼前に、家族で出かけた。
今年は成人式の日と重なり、もうかなり人出だった。娘の嫁ぎ先に年始のご挨拶をした。
十日市で娘夫婦も来ていた。車をおいて貰い、賑わう街へ繰り出した。
毎年、十日市の日は荒れると言われている。でも、さすがに吹く風は驚くほど寒かったが、青空の晴天になった。

 十日市の起源は、葦名直盛が黒川城を築いた時から始められた(至徳元年1384年)といわれる。
 色鮮やかな風車、起き上がり小法師といった縁起物や、漆器、陶器などの地場産品、そのほか、実にさまざまな露天が並んだ。
 400以上の露店が軒を連ねたらしいが、以前に比べて、低迷する業界のせいか漆器の出店が少なく、食べ物の露天が多かったようだ。
 大町通りから神明通りに出る。神明神社にお参りして、孫はオサダの福袋を買った。
そして、いつものように「起上がり小法師」と「風車」それに「市飴」を求めた。


   【住吉神社の出店】


   【会津天神も飾ってある】


   【絵になる漆器屋、鈴木屋利兵衛】

 「風車」は、八本の薄い竹を編み、貼った鮮やかな赤、青、黒など色紙の上に、金粉で「寿福の神」の4文字が書かれている。
また、風車の羽を黒豆で止めてある。「"まめ"で一年中元気に過ごせるように」との願いが込められた縁起物だ。
「起き上がり小法師」は、転んでもすぐに立ち上がるから、粘り強さと健康のシンボルとして縁起が良く、
家族の人数より1個多く買う習わし。今年は別に、少し大きめの青、赤、黄色の小坊師を求めた。
それぞれ、水の神、火の神、お金の神だという。
1年間、神棚に飾っておく。





 小坊師は約400年前、蒲生氏郷公が下級藩士の内職として作らせたのが始まりと言われている。
「市飴」は、昔は大変貴重な物だったろう。滋養に富んだ飴をなめて無病息災と家内安全を願ったのだろう。
時代の流れで、初市の様子も変わるが、凍える手で人混みを歩いた初市の思い出は、孫たちの脳裏に焼き付くことだろう。

 途中、思い立って一人横道に逸れ、雑踏の傍らの蒲生氏郷公の墓所へ立ち寄った。
何年ぶりだったろうか、誰もいないお墓は、ビルの谷間で雪に埋もれていた。
膝までの雪を長靴でかき分け、案内板のところまで踏み入りお参りした。
ここ興徳寺の五輪塔には蒲生氏郷の遺髪が納められ、辞世の歌碑も建っている。
【http://inoues.net/club/aidu_ujisato.html】



深閑とした空間で、蒲生氏郷を偲び、永々と続いてきたであろう雪の会津の初市を思った。

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