エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

エッセイへの応募

2012-08-20 | 文芸

     【今朝の黎明磐梯(2F自室より) a.m.4:43】

  磐梯町主催で「徳一菩薩」「慧日寺」のエッセイ募集(原稿用紙4枚1600字程度)があった。

 応募のきっかけは、かつての同僚、白岩孝一氏の 『徳一と法相唯識』出版祝賀会で、そのチラシを手にしたことからだった。

 いつもの里山巡りで、ときどき慧日寺界隈を歩き、時には慧日寺資料館へも立ち寄るなど、それなりに興味もあり、

その後、勝常寺を尋ねたり手元にあった徳一関連の本を読んだり、5月のエッセイの締め切り間近に、応募した。拙い文章だが”エッセイ”と、軽く考えて・・・。

 数日前に、「厳正な選考の結果、入選にはいたらず、ご期待に添いかねる結果となりました。」と、磐梯町の名産品「とちの蜂蜜」が添えられた通知が届いた。

 推測するに、徳一や慧日寺のより神髄に迫る内容が期待されるに違いなかった。

 以下は、今回の応募エッセイである。

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題名:  「慧日寺金堂の復元に思う」                  
本文:
 時折、会津の歴史を反芻したい思いにかられている。これからの残された時間に、ふるさと会津を自分の足で訪ね、風土や人々の営みを過去という膨大な時間の中で見つめる、そんなこころの旅をしてみたいと夢見ている。そんな折、国史跡の指定を受けてから実に42年の時を経て、磐梯町悲願の慧日寺金堂が復元された。あらためて、中世会津の歴史を振り返りたいと思っている。 
  まだ春浅い日に、平安の世に思いを馳せながら、一人慧日寺の史跡を巡った。再建されたとち葺き屋根の金堂や中門の神々しい朱色の柱が美しく鮮やかに見えた。史跡の奥にある徳一廟への雪の消えた土手には黄緑色の蕗のとうが輝き、清冽な小川のせせらぎに、悠久の時を超えて真っ白な磐梯山が凛として聳えていた。
  東北最古の寺院慧日寺は法相宗の徳一によって開かれ、山岳信仰と密接な関係をもち、磐梯山を奥の院として成立したと考えられている。平安時代の中頃には寺僧三百、僧兵数千にのぼり、支配権は会津一円に及んだと言われる。往時の広い寺域は、伽藍や周辺の景観を描いた、現存する「絹本著色慧日寺絵図」で想像できる。しかしその後の度重なる合戦や焼失、さらに明治の廃仏毀釈により廃寺となった歴史がある。今、甦った金堂を前にして、奈良、平安からの長い歴史の流れの中の現在(いま)を思っている。
 再建なった中門、金堂の北には、講堂、食堂、仏堂と推定される建物の礎石跡が立派に整備されたが、これら甦った有形の文化財と共に、そこに隠れるこころを知りたいと思っている。徳一はどんな人だったのだろう。先ずは、郷土会津の仏教文化の礎を築いた徳一菩薩の人間像を探ってみたい。
 徳一に関わる身近な諸著作を巡った。「奈良朝末・平安初期の会津に徳一という日本最高の法相学者がいた。」「この知的豪族が、唯一人で奈良仏教を代表して平安仏教の最澄と論戦し、最澄を苦しめつづけた。」(*1) 「若冠、都を去り、東国の人になり、辺主に甘んじた、いや、それを使命とした平安宗教改革者徳一」(*2) 「徳一は法相宗学を基礎に、当時流行していた薬師信仰を取り入れ、仏教修行には騒がしすぎる南都を離れ、心静かに山林修行に励むことの出来る地、会津に向かった。」(*3) 「「元亨釈書」によると、彼の宗風というのは、都市的奢侈を極端に嫌い、粗衣粗食に徹した乞食僧のような行道ぶりだった。」(*4)等々、これらの著述に、徳一像がおぼろげに浮かんできた。
  先日、湯川村の勝常寺で初めて本物の徳一座像に対峙することが出来た。その醸し出す風貌に深く胸を打たれた。遙か1200年の時の流れを静かに見つめつづけながら、彼は何かを語ろうとしていた。徳一は何を遺し、私たちはこの徳一から何を学べばよいのだろうか。これから、まだまだ咀嚼できない徳一菩薩の論にじっと耳を傾けてみたいと思っている。
 ところで、慧日寺裏のわずかな山あいは、私にとっていつも馴染みの里山である。そこには、最近絶滅が危惧されているチョウ(*5)が細々と棲息している。私は十数年の間、太古の昔から営々と生き延びてきたであろうこの小さなチョウを見つめてきた。毎年、少なくなったこのチョウの無事な姿を撮り、その都度安堵してきた。思えば、その折にはいつも側らの徳一廟を訪ねて手を合わせ、最近は史跡の発掘作業や金堂再建の様子を垣間見てきた。今ここに中世の文化遺産が蘇ったが、おそらく当時も緩やかに舞っていたに違いないこの小さな自然遺産にも目を向けて欲しいと願っている。しかも、この保護は緊急の課題である。一度失われた自然は戻らないからだ。
 この史跡慧日寺の整備を目の当たりにして、あらためて失われてはならないふるさとの文化、自然を大切に保存し、未来に継承していくことの意義を痛感している。そして、磐梯山麓に、さらなる新しい、豊かな文化継承の風が吹いて欲しいと願わずにはいられない。
                                               
(参考)
(*1)・司馬遼太郎著「街道をゆく」  (朝日新聞社)
(*2)・高橋富雄著 「徳一菩薩」    (歴史春秋社)
(*3)・白岩孝一著 「徳一を尋ねて」(NPO法人会津の文化づくり)
(*4)・豊田武監修 「会津の歴史」  (講談社)
(*5)ヒメシロチョウ:国の絶滅危惧Ⅱ類、福島県の準絶滅危惧種に指定されている。     

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