エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

満開のお城へ

2013-04-27 | 街中散歩

今日は萌ちゃんの遠足、1年の時は短大グランドの桜、2年生では石部桜へ、今年は鶴ヶ城まで歩いた。

一昨年も武琉くんをお城本丸で待って、遠くから望遠で撮った。そのときの城跡のゴイサギやカタクリなどが頭に浮かび出かけた。

しばらくは陽も差していたが、時々雨が落ちてあいにくの天気だった。

自転車の街中散歩だ。かつての勤務先までの懐かしい道をたどった。

蚕養神社を行仁町を南へ、行仁小学校を下がって、今はない魚や野菜のお店イタガキの前を突き当たる。

懐かしい八角神社にお参り。ここは槻木町、じいちゃんの葬儀の日のことや、神社裏のブランコに乗った小学生の頃の記憶がよみがえってきた。

 

いつかトヨ伯母を見舞った穴澤病院は近代的な建物に変わっていた。そういえば牡蠣にあたって点滴してもらった病院だ。

かつての勤務校での一番の思い出は、粉石けん工場の建設、竣工の際に植えたしだれ桜がきれいに咲いていた。

よく生徒と自然観察に出かけた若松2中前の野原には、大熊町からの避難仮設住宅が建っていた。

今は若松2中の校門になっているレンガの門も懐かしい。明治41年6月に、歩兵65連隊1200名が入営したという。

北出丸通り、西郷頼母邸跡からお城がよく見えた。

 

武徳殿のある北出丸から椿坂は満開のサクラがきれいだった。

  

 

おなじみの緑色の小学生のジャージの一群が見えた。萌花ちゃんには分からないように遠くから眺めた。

 

八重の桜ブームで観光客が多い。お城や茶室・麟閣の前で、何組かの結婚式の記念撮影風景を見た。ほほえましいカップルに「お幸せに!」とこころの中でつぶやいた。

 

 

  

本丸の東の一角に、信州高遠から贈られたタカトウヒガンザクラが咲いていた。会津藩主・保科正之は信州高遠からおいでになった。

高遠町が町村合併でなくなる記念に植えられたとのこと。

 廊下橋をわたりテニスコート裏がゴイサギの集合場所。例年のように眠っているゴイサギを遠くから写した。

土手のカタクリやキクザキイチゲの群落も盛を過ぎていた。サクラと言いカタクリと言い、厳しかったた冬の寒さを思う、例年より早く咲いたことが不思議だ。

どの郭にも、戊辰戦争の悲劇を見つめていたであろう見事な大木が立っている。これから咲く紅いつぼみのサクラは何という種類だろう。

堀の水面いっぱいに、散りゆくサクラの花びらが漂い、カモが浮かんでいた。

         ゴイサギ カケス

ポツリポツリ降り出した。自転車で我が家へ着く頃は雷も鳴り始めた。

帰ってきた萌ちゃんとお話を聞いたら、お昼のお弁当は急きょ体育館で食べたと言う。少しかわいそうなお天気でした。 

目的はサクラのお城の撮影にあったが、ついでながらの遠くからの遠足風景をながめた。

また、それ以上に、はからずも会工界隈の景色を偲ぶことができて、懐かしさに大切なこころを取り戻した思いがした。

                                                              (3013.4.26)

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