中野孝次著『「生き方の美学』を読み、美しく生きた先人と徳について考えている。
著書は、今や死語となっている高潔、廉恥、無私などの徳目をテーマに、徳の体現者として会津藩士・秋月悌治郎を挙げている。
熊本五高で同僚だった小泉八雲が彼を「神様のような」人と呼び尊敬したことや、熱意ある教育者として学生に慕われたことを書いている。
彼の誠実な人物像や波乱の生涯は、中村彰彦の著作「落花は枝に返らずとも」でも知ることができるが、
彼の残した「北越潜行」の憂い悩む心情にはいつも切なく胸を打たれる。
最近、小・中学校で「特別の教科 道徳」の実施が決まったが、単に処世術であってはならない。
義に殉じた戊辰戦争から150年、人として最も尊い徳について、あらためて郷土の徳高き多くの先人に学ぶことの意義を確認したい。
秋月悌治郎のたたずまいが浮かんで来た。
「北越潜行の詩」
有故潜行北越帰途所得 会津 秋月胤永
--------------------------------
行無輿兮帰無家 行くに輿無く 帰るに家無し
國破孤城乱雀鴉 國破れて 孤城雀鴉乱る
治不奏功戦無略 治は功を奏せず 戦は略無し
微臣有罪復何嗟 微臣罪あり 復た何をか嗟かん
聞説天皇元聖明 聞くならく 天皇元より聖明
我公貫日発至誠 我公貫日至誠に発す
恩賜赦書応非遠 恩賜の赦書は 応に遠きに非ざるべし
幾度額手望京城 幾度か手を額にして京城を望む
思之思之夕達晨 之を思い之を思うて 夕晨に達す
憂満胸臆涙沾巾 憂は胸臆に満ちて 涙は巾を沾す
風淅瀝兮雲惨澹 風は淅瀝として 雲は惨澹たり
何地置君又置親 何れの地に君を置き又親を置かん
--------------------------------
鶴ヶ城三の丸の詩碑 束松峠の詩碑
(参)拙ブログ 「束松峠の詩碑」 https://blog.goo.ne.jp/tosimatu_1946/s/%E6%9D%9F%E6%9D%BE%E5%B3%A0
「神のような人 秋月悌次郎」
https://blog.goo.ne.jp/tosimatu_1946/e/0d6cbe95f4879840ef2d14b66c011010