エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

備忘録として(3) 病床にあり 考えたこと

2018-09-03 | 日々の生活

長い入院中、いろいろなことに思いを巡らせた。

痛々しい何本もの点滴管の刺さる細腕に、いつも秒針の歩みを追っていた。

この有り余る辛い時間を救ってくれた本があった。

見舞う妻に頼んだのは、いつも書斎の座右にある中野孝次著「風の良寛」や田淵行男著「山の季節」など。

先ず浮かんだのは、かつて心動かされた良寛だ。

病床ノートのメモには ”頬こけて 良寛の如 生きんとす”とか、”癒えし後 訪ねてみたし 五合庵”とある。

久々に、頬こけた良寛像を眺め、良寛が五合庵で何を思いどう生きたのかを同じ空間で考えたかった。

あらためて良寛の豊かな生き方を思い、日常、如何に雑事に紛れ自分を失っていたかを痛感せざるを得なかった。

これまで数え切れないほど入退院を繰り返してきたが、もう若くはない。

命救われた15年前と今回の奇跡も、3度目はない。

病床での心の整理から貰ったこの思いを胸に、健康を第一に、日々を穏やかに過ごしていきたい。

 


備忘録として(2) 願い叶い退院  

2018-09-02 | 日々の生活

突然の入院だった。長い入院生活となり、はからずも多くの知人から励ましをいただいた。

このほど、私自身と家族の願いが叶えられ退院、嬉しさをかみしめている。

ICUでの意識混濁の中の2週間、生死をさまよいながらも立派な医師と神に救われた。

その後、一般病棟に移ってからは、衰弱しきった体力、気力からさらに辛い闘病の日々となった。

滅入りがちな私には、毎日見舞う家族の励ましが支えだった。

思えば発病前日まで元気に里山を巡っていたのに、今、おぼつく脚で立つ久々の庭は、ハギやムクゲの花が風に揺れ、もうすっかり静謐な秋だ。

でも、猛暑に咲き誇ったであろうサルスベリの花が未だ咲き残り、諦めかけていたミンミンゼミも鳴いている。

贅沢な願いかもしれないが、近いうちにもう一度カメラを提げてさわやかな里山をめぐりたい。

すっかり落ちた体力をつけ、いつものトンボに会いたいと思っている。   (病床ノートより  8/27)

オオチャバネセセリ


備忘録として(1)  突然の病魔

2018-09-01 | 日々の生活

 

すだれ越しに風鈴の音を聞きながら、スイカをほおばる。遠い思い出がよみがえる。

僕が夏が好きなのは、ようやく店先に並び始めたスイカと真紅のイチゴのかき氷が大好きだから。

しかし、久々の猛暑の夏を楽しめなくなってしまった。

早朝の夏祭りの準備中、突然の高熱に意識を失い救急車で運ばれた。

いつしか夏休みに入り、町内会の最大の行事「お日市」も町内会の皆さんの協力で無事終わったが、楽しみにしていた子どもたちとの昆虫教室はできなくなってしまった。

思えば15年前に救われた命だった。

以来抱えてきた再発の不安がとうとう現実となった。

家族には叱られそうだが辛く、切ない。

僕自身と家族の願いをもう一度叶えて欲しい。そして、せめて秋風立つ庭を巡りたい。  (病床ノートより 8/1)

 オオチャバネセセリ