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中島ブラザーズ ”弟”の「外で遊ぼう!」

近頃は日本海で、ヒラマサを追ってばかり。よって磯釣りや渓流釣りは休止状態ですが…。

死語の世界

2010-01-09 12:36:18 | その他
 子供が小さい頃は、夜寝る前に本を読むことをせがまれ、嫁と二人で分担しながら、いわゆる「読み聞かせ」というヤツを毎日のようにしていた。
 それが良かったのか、以降、息子は自分で読むことが出来るようになって以降も、かなりの本好きのままで、暇を見付けては読みふける彼の姿をよく見かけるのだが、そんな状況の中、低学年時代のある日、息子が落語に興味を持ったのか、「じゅげむ」を絵本にしたモノを購入してきたことがあった。

 落語と言えばボクも大好きで、故、桂枝雀さんのファンでもあった。遠い昔に月に1回程度、大阪の朝日放送というTV局で深夜に「枝雀寄席」という番組が放送されていた頃は、それを見るのを毎回楽しみにしていたし、年に一度、自宅近くにある、西宮東高校のホールで行われていた枝雀さん一門の「鳴尾寄席」を毎年のように見に行っていた時期もあったくらいだ。
 勿論、枝雀さんが亡くなって以降も、落語家それぞれに味があってオモシロイので、今でもTV放送があればよく見聞きしている。
 好きな話は枝雀さんの十八番でもあった「宿替え」「壺算」などの他、「ちりとてちん」や「初天神」など色々あるが、子供が興味を持ったのを機会に、他にも色々なネタを探しては読むようになっていった。
 今は便利な時代なので、インターネットで検索すればネタは簡単に取り出せる。中でもお薦めは
「上方落語メモ[世紀末亭]」
http://homepage3.nifty.com/rakugo/index.htm
というサイトだ。

 実際には、このサイトからプリントアウトしたモノを子供に読み聞かせ?していたのだが、困ったことに原文のままでは子供には理解し辛いようだ。
 振り返ってみれば、ボクが子供の頃は祖母が健在で、古い大阪弁を間近で聞いていたし、更に祖母は商家に嫁いだせいもあって「船場言葉」と呼ばれる言葉も使っていたので、落語の世界に出てくるような言葉をボクは完全に理解していた。
 しかし、現在大阪弁の圏内に済んでいる人なら理解が出来ると思うが、普段はボクらの世代であっても「~でんがな」や「~まんがな」はもう使わない。あるとすれば、人を笑わそうとして無理に使う時ぐらいだ。更に息子の世代になると、TVの影響なのか、ボクら世代が絶対に使わなかった言葉=例えば「~じゃん」なんて言葉を使うし、標準語ナイズドされて古い大阪弁の表現はドンドン淘汰されている。

 よって、仕方なく彼が判るように変換して読んでいたワケである。具体例を挙げると=「そうだっせ」は「そうですね」、「ソコにおまっしゃろ?」は「ソコにあるでしょう?」、「さいぜん」は「さっき」等だが、「殺生(せっしょう)だっせ~」に至っては、ウマイ表現が見つからず、どう訳して良いのか見当が付かない。
 コレでは、登場人物独特のキャラが乗った言葉が変化することでイメージが変わってしまううえ、元よりシロートが読むヘタクソさが加わって落語の魅力が半減、いや4分の3減以上するに等しい状態だ。

 それでも息子は楽しんでいるようだが、願わくはこれから先、「聞き言葉」としての大阪弁だけは理解できるように育って欲しいと思う。だが、上述したようにボクら世代でも使わない昨今の状況下では、残念ながら子供達が、もう死語になりつつある、古い大阪弁に触れる機会はドンドン減って、それは困難なことなのかも知れない。

 現在落語はややブームとなって寄席が繁盛している状況ではあるらしいが、それを支えているのがボクら世代以上の「死語の世界」の理解者ばかりであれば、この先どうなって行くのか?それが心配だ。
 落語は大衆芸能でありながら、伝統芸能の要素も兼ね備えているが、もし仮に伝統芸能としてでしか生き残られなくなると、その代表格である歌舞伎の今日の姿のように、ヘッドフォン(イヤフォン)の同時通訳や解説を聞きながら見る(聞く)スタイルになってしまうのだろうか?。そんな未来を想像するとゾッとする。落語は大衆に受け入れられて来たからこそ、今の姿があるのだ。世代間を受け継いでゆくための、何か良い方法はないものだろうか…。
コメント
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