中島ブラザーズ ”弟”の「外で遊ぼう!」

近頃は日本海で、ヒラマサを追ってばかり。よって磯釣りや渓流釣りは休止状態ですが…。

丹波路へ

2012-11-17 12:30:00 | 旅行
■丹波路へ■

 関西周辺では近年、秋になると枝ごと切り取られて花束のような状態で袋に入れられた、丹波産の黒豆をチョっとしたギフトなんかでもらう機会が増えている。もらった方は、これをサヤごとゆでてビールのつまみとしては定番の「枝豆」にしていただくのが最高なのだが、まだそんなにメジャーではなかった頃は、黒豆故に外から見るとサヤが黒ずんでいるから、「せっかくもらったんだけど、傷んでた」と、知らずに捨てた人が居たという、笑い話があったことが今では懐かしい。
 そんな黒豆が届き始めると、秋が深まりつつあることを感じるのだが、今年もそんな日があって、ふとしたイメージの連鎖から妻と二人で「丹波へ行こう」と思いついた次第である。

■篠山城趾■

 ボクを含めた兵庫県民の多くにとって、「丹波」と言って、まず始めに思い浮かべるのは、丹波篠山という町になると思う。まず最初は丹波旅行では定番の、この町を訪問した。
 篠山は篠山城の城下町として発展してきたそうだが、まずはその中心の篠山城趾から散策を開始した。

●篠山城趾の正面●


 この城の築城に竣工したのは1609年。その頃は徳川氏が政権を握ってはいたものの、まだ豊臣氏は秀頼の代ではあるが、健在だ。したがって、まだ情勢に不安要素があったためにその備えとして、徳川家の血筋である松平康重をこの地に移し、その命によって築城が開始されたという。
 縄張は藤堂高虎という、言わば当時の「城郭設計のトップ中のトップ」が担当し、普請総奉行を池田輝政っという、言わば「土木建築の大手」が務めたというから、構え自体は本格的なものだが、実際には乗せるための台は予め作られていたものの、天守閣は築かれなかったそうだ。
 以後明治維新後に大半が取り壊されるまで戦闘ではなく、治世のための城として使用されていたそうだ。
 昭和に入っても、大書院だけは残っていたのだが、これも失火により焼失している。だから、城郭内に現存するのは、再建された大書院ということになる。

●再建された大書院●

 訪問時は、まだ紅葉が始まったばかりの頃であり、もみじのみが色づき始めていた状態であったが、それでもグラデーションがついていて、これはこれで見事だった。

●書院裏のもみじ●


●落葉も、また綺麗●

 城郭内を散策し終えたあとは、城下の町をぶらぶらと歩いた。ここでは、旬の栗を使った菓子類、黒豆入りのソフトクリームなど、色々とあったが、秀逸は「栗おはぎ」であった。


■丹波ワイン■

 ”丹波地方”は、兵庫県だけではなく京都府にもまたがっていて、次に向かった”丹波ワイン”は京都府下にある。ワイナリーは、いわゆる山陰道の、国道9号線からほんの少し入ったところにあり、これで2回目の訪問になる。

●国道9号線に掲げられている、看板●

●店舗入り口●


 訪問時は丁度”ヌーボー”の発売時期に重なっていて、それを大々的に勧めていた。

●ヌーボーがズラリと並ぶ●

 店内に入ると、とりあえず取扱種類、在庫状況などを確認してまわる。
●ノンアルコール・ワインもある●

 一通り確認を終えると、テイスティング係の妻に託しての試飲が始まった。
 定番のシャルドネは残念ながら、高級タイプしか在庫がなく、チョイかじりワイン愛好家のウチでは予算外だったが、ちゃっかり試飲だけは済ませ、次に移行。数点を試飲し、あれこれ迷ったあげく、結局”丹波ワイン・ヌーボー2012”の白を購入する。

●丹波ワイン・ヌーボー2012”の白●

 自宅に帰って、ようやくボクもテイスティングに参加。やや甘めながらスッキリした味わいに、ほんのり樽の香りが漂う味を堪能した。ヌーボーだから安いのだが、税込¥1000でこの味なら高得点だと思う。


■奥深い丹波路■

 今まで丹波と言えば、日本海に抜ける際の、「立ち寄り地点」としての認識しかボクにはなく、ここだけを巡ったという経験はなかった。しかし、今回の日帰り小旅行をきっかけに、この地を調べてゆくと、丹波三山と呼ばれる高源寺・円通寺・石龕寺の三寺は伽藍も大きく紅葉で有名らしいし、その他にも訪ね歩きたい場所が結構ピックアップできた。今後の訪問が楽しみな丹波路だった。
コメント
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