■金峯山寺へ■
世の中には「異形(いぎょう)」と言うか、「異様(いよう)」と言うか、「こんなの見たことない。」というモノがある。仏像にもそういう存在があって、「一度はこの目で確かめたい。」と思っていたのが、奈良県、吉野の金峯山寺(きんぷせんじ)本尊の、“金剛蔵王大権現(こんごうざおうだいごんげん)”だった。この像に関しては後で記すことにして、まずは金峯山寺の国宝の一つである、仁王門から。
と言ってみたものの、現在は大修理の真っ最中であって殆どが覆いの中にあるため、正面からは手前の石段程度しか見えず、門下を通過する際に、作業用のベールが掛かった状態で、かろうじて阿形像(あぎょうぞう)と吽形像(うんぎょうぞう)の胸から上が見られる程度だった。
。
そして程なく、本堂前に出る。この本堂が、東大寺大仏殿に続く規模を誇る、国宝の蔵王堂(ざおうどう)だ。
金峯山寺は7世紀前半の白鳳時代に役行者(えんのぎょうじゃ)がこの地で修行に入ったことが開祖とされている。だから、日本有数の古寺ではあるのだが、南北朝時代を始めとする戦乱や厄災に巻き込まれたために各堂の焼失が幾度かあり、現存の蔵王堂も豊臣期に再建されたモノだそうだ。
この蔵王堂に納められているのが、御本尊の“金剛蔵王大権現”を中心とした3体の仏像だ。
この3体は普段は公開されない秘仏という扱いなのだが、日本各地にある、その秘仏の中でも最大の7m強という。その大きさから来る大迫力は当然として、その太さ、表情、それに体色全体が“青い”ということが加わって「圧巻」という他ない御本尊なのだ。
かつては私もそうだったが、この御本尊は一見、“御不動様(おふどうさま)”にも見て取れるが、御不動様はインド由来であって、別物であり、この金剛蔵王大権現はは紛れもない日本独自の“仏像”なのだ。中心が「釈迦如来(しゃかにょらい)」、向かって左が「弥勒菩薩(みろくぼさつ)」、右が「千手観音菩薩(せんじゅかんのんぼさつ)」で、開祖の役行者が過去・現在・未来の三世にわたる衆生の救済を誓願したことによって出現したという。
しかし、多くの人が「何故、お釈迦様がこんなお姿を…。」と思うだろうし、ボク自身もそう思っていた。その点を、案内の方に訪ねたところ、
「修行中の、現れたお釈迦様達に、役行者様が『そのようなお優しい姿では、荒れたこの世を救済できないのでは?』と言ったところ、変化した。」という説明だった。
不思議と言えば、もう一点ある。本堂と金剛蔵王大権現は、ほぼ同時期の作ということなのだが、方や本堂は国宝、方や金剛蔵王大権現は重要文化財ということで扱いが違うのだ。
「もしや、後から青く塗ったのか?。」とも勘ぐってしまったが、「いつから青かったのか」という説明は見つけられなかったし、本当の理由は解らない。
何はともあれ、この特別開帳は11月末までなので、「見たい方は、お急ぎを。」
■門前町■
古くから賑わう神社仏閣の門前には、参拝者をもてなす門前町が付随しているが、ここ金峯山寺にもそれがある。そして、その門前町の名物に“葛切り(くずきり)”がある。
葛切りを振る舞う店は何軒もあるが、嘉永四年の創業で「葛の元祖」と呼ばれているのが、八十吉(やそきち)さんだ。
ここを訪れた理由は同行していた、妻の母が「40年前の味わいが忘れられない…。」と言い出したからであったが、馬鈴薯等の混ぜ物のない本当の、葛の味わいは、ボクにとってうも忘れられないモノになった。
吉野を後にしてからは、紅葉の始まっている、大台ヶ原方面に立ち寄ってみた。当日の紅葉は川上村あたりまで迫っており、見事なモノであった。
世の中には「異形(いぎょう)」と言うか、「異様(いよう)」と言うか、「こんなの見たことない。」というモノがある。仏像にもそういう存在があって、「一度はこの目で確かめたい。」と思っていたのが、奈良県、吉野の金峯山寺(きんぷせんじ)本尊の、“金剛蔵王大権現(こんごうざおうだいごんげん)”だった。この像に関しては後で記すことにして、まずは金峯山寺の国宝の一つである、仁王門から。
と言ってみたものの、現在は大修理の真っ最中であって殆どが覆いの中にあるため、正面からは手前の石段程度しか見えず、門下を通過する際に、作業用のベールが掛かった状態で、かろうじて阿形像(あぎょうぞう)と吽形像(うんぎょうぞう)の胸から上が見られる程度だった。
●完了までには、あと5年を要する●
。
●阿形像●
●吽形像●
そして程なく、本堂前に出る。この本堂が、東大寺大仏殿に続く規模を誇る、国宝の蔵王堂(ざおうどう)だ。
金峯山寺は7世紀前半の白鳳時代に役行者(えんのぎょうじゃ)がこの地で修行に入ったことが開祖とされている。だから、日本有数の古寺ではあるのだが、南北朝時代を始めとする戦乱や厄災に巻き込まれたために各堂の焼失が幾度かあり、現存の蔵王堂も豊臣期に再建されたモノだそうだ。
●本堂の蔵王堂●
この蔵王堂に納められているのが、御本尊の“金剛蔵王大権現”を中心とした3体の仏像だ。
●パンフレットからの抜粋 1●
この3体は普段は公開されない秘仏という扱いなのだが、日本各地にある、その秘仏の中でも最大の7m強という。その大きさから来る大迫力は当然として、その太さ、表情、それに体色全体が“青い”ということが加わって「圧巻」という他ない御本尊なのだ。
かつては私もそうだったが、この御本尊は一見、“御不動様(おふどうさま)”にも見て取れるが、御不動様はインド由来であって、別物であり、この金剛蔵王大権現はは紛れもない日本独自の“仏像”なのだ。中心が「釈迦如来(しゃかにょらい)」、向かって左が「弥勒菩薩(みろくぼさつ)」、右が「千手観音菩薩(せんじゅかんのんぼさつ)」で、開祖の役行者が過去・現在・未来の三世にわたる衆生の救済を誓願したことによって出現したという。
しかし、多くの人が「何故、お釈迦様がこんなお姿を…。」と思うだろうし、ボク自身もそう思っていた。その点を、案内の方に訪ねたところ、
「修行中の、現れたお釈迦様達に、役行者様が『そのようなお優しい姿では、荒れたこの世を救済できないのでは?』と言ったところ、変化した。」という説明だった。
●パンフレットからの抜粋 2●
不思議と言えば、もう一点ある。本堂と金剛蔵王大権現は、ほぼ同時期の作ということなのだが、方や本堂は国宝、方や金剛蔵王大権現は重要文化財ということで扱いが違うのだ。
「もしや、後から青く塗ったのか?。」とも勘ぐってしまったが、「いつから青かったのか」という説明は見つけられなかったし、本当の理由は解らない。
●パンフレットからの抜粋 3●
何はともあれ、この特別開帳は11月末までなので、「見たい方は、お急ぎを。」
■門前町■
古くから賑わう神社仏閣の門前には、参拝者をもてなす門前町が付随しているが、ここ金峯山寺にもそれがある。そして、その門前町の名物に“葛切り(くずきり)”がある。
葛切りを振る舞う店は何軒もあるが、嘉永四年の創業で「葛の元祖」と呼ばれているのが、八十吉(やそきち)さんだ。
●八十吉●
ここを訪れた理由は同行していた、妻の母が「40年前の味わいが忘れられない…。」と言い出したからであったが、馬鈴薯等の混ぜ物のない本当の、葛の味わいは、ボクにとってうも忘れられないモノになった。
●抹茶とのセット●
吉野を後にしてからは、紅葉の始まっている、大台ヶ原方面に立ち寄ってみた。当日の紅葉は川上村あたりまで迫っており、見事なモノであった。
●川上村の紅葉●