中島ブラザーズ ”弟”の「外で遊ぼう!」

近頃は日本海で、ヒラマサを追ってばかり。よって磯釣りや渓流釣りは休止状態ですが…。

はやぶさが帰ってきた!

2010-06-19 12:30:10 | その他
 ワールドカップのカメルーン戦の勝利の裏で、扱う割合が減っているのは残念なことだが、日本の惑星無人探査機の「はやぶさ」(正確には、その内部のカプセル)が無事オーストラリア領内に着地した。
 そのこと自体は新聞記事等で知っている人も多いかと思うが、先日その裏話をラジオで聞いたボクは大感動してしまったのだ。知っている人も多いかと思うが、知らない人のためにそのお裾分けを…。

 はやぶさは2003年5月に打ち上げられ、遙か20億km!の長旅の末、小惑星「イトカワ」に着地したのだが、このイトカワは全長が僅か540mしかないそうだ。そんな遙か彼方にあるピン中のピンポイントに対しての正確な着陸は、どの国も成し遂げていないことなのだ。そしてトラブルに見舞われながらも7年間もの間、稼働し続けた世界初のイオンエンジンと、弾丸が出なくて成功しているかどうかは判らないが、惑星地表のサンプル採取。更には数多くの困難を乗り越えて、予定していたオーストラリア領内にあるアボリジニの聖地への正確な帰還。と、ここまでは表の話。これだけでも大感動だが、感動は裏話にも続く。

 まず向かった惑星の名が、何故「イトカワ」なのか?ということだが、この名は日本のロケット開発の父である糸川英夫教授にちなんで名付けられている。しかし、このイトカワはアメリカのチームが発見した小惑星だ。勿論命名権はそのチームにあるのだが、はやぶさを向かわせるにあたってアメリカ側と交渉して名付けさせてもらったということだ。
 「何故その名にこだわったのか」という話はラジオでこの話を紹介していたジャーナリストの勝谷誠彦さんの思い入れも多少あったのだろうけど、ボクにはグッと来た。

 この糸川教授は戦時中に活躍した中島飛行機製の陸軍戦闘機中の名機である「九七式戦闘機」「隼(はやぶさ)」「鍾馗(しょうき)」等の開発に携わった人だ。
 中でも隼は「エンジンの音轟々と~」の軍歌で有名な加藤隼戦闘隊でもメイン機になっており、傑作機の呼び声が高い。
 旧日本軍の戦闘機と言えば真っ先に浮かぶのが「零戦」だとは思うが、運動性能や航続距離を重視したがために人命軽視の設計となって大戦末期には通用しなくなった零戦に比べて隼は性能バランスが良くて人命を守る装備も備えていたために、大戦後も各国で使用されていた実績があるほどの名機だ。

 終戦後、中島飛行機は解体され、富士重工業(スバル)として生まれ変わった。糸川教授自身は、一時はGHQの指導の下で計画を断念していた時期もあったが、夢は捨てずに時期を待ち、遂に1954年、東京大学内に「航空及び超音速空気力学」の研究班を組織する。そして、当時ロケット開発に全く乗り気でない国や企業を自ら口説いて回った努力と結果が今日の「JAXA」の活動へと繋がっているのだ。


 出発から2年半後の2005年11月、はやぶさはイトカワに着陸した。しかしそこからが大変だったそうだ。
 バカなボクでは到底説明できる話ではないので、詳しくはJAXAのホームページ(一番解りやすいのはコレ=http://www.isas.jaxa.jp/j/enterp/missions/hayabusa/fun/adv/index.shtml)を見て欲しいが、離着陸の衝撃で燃料漏れと従来型の科学推進エンジンに損傷が起こって制御不能になり「一時は通信不能で行方不明」にまで陥っていたのだ。
 絶体絶命のピンチの中、長野県佐久市にあるレーダー施設が20秒受信、30秒断絶するサイクルで飛んでくるはやぶさからの電波をキャッチしたのをキッカケに事態が好転し始めたそうだ。そして「太陽光圧を利用した新しい姿勢制御方法」というバカには絶対に思い浮かばない発想と、エンジン回路を遠隔操作で修理するなどの離れ業など、必死の努力の結果が先日の「地球への帰還」なのだ。

 「プロジェクトX」が今でも放送していれば、絶対に採り上げるようなドラマがそこにはある。ワザワザお願いして「イトカワ」とネーミングした小惑星に「はやぶさ」が向かったのは偶然の産物ではないだろう。
 あの戦前、戦中の貧乏だった日本で限られた予算の中、科学者や技術者達は知恵を絞り、それは一部であったのかも知れないが、世界に誇れる技術開発を成し遂げていた。終戦と共に一時は停滞したものの、見事に復活して日本を技術大国へと導いた彼らのプライドと意地の歴史をボクはこのネーミングに感じたのだ。
 この話を今年80歳になる我がオヤジに話していると、こんな話を逆に聞いた。
 戦時中に中学生だったオヤジは学徒動員という総動員態勢の中、軍需工場でひたすらボルトを削る毎日が続いていたのだそうだ。その当時に漏れ聞いた話によれば、オヤジ達が削ったボルトが戦闘機「隼」に使われていたそうで、それは当時の工場内で働く人達のプライドでもあったのだそうだ。そんなオヤジにとっても、はやぶさがイトカワに向かった話は「感動も一塩」の物語のようであった。


 民主党政権になり、事業仕分けによって今回のプロジェクトに続く「はやぶさ2」の当初予算17億円が、僅か3000万円に減額されたと聞いた。だが、今回の「はやぶさ」の予算総額は国民一人あたり100円なのだそうだ。モチロン天下りなどで無用かつムダな経費の中抜きもあるのだろうけども、それさえヤメてくれれば、たった100円でこんな感動が買えるのであれば安いものだと思う。それどころかオヤジと二人で「2倍の200円ずつ(チョッとセコイか…?)」でもイイくらいの感動話だ。
 それはともかく「はやぶさ」の帰還は不幸や不景気なニュースばかりで「何やねん、この国は」と思うことが多かったボクにとっては、最近あまり感じることのなかった「日本人で良かった」と思わせる瞬間であったのだ。
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