団塊オヤジの短編小説goo

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都月満夫の短編小説集2

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都月満夫の短編小説集

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「アンパンは何故アンが入っているのか」について考える

2009-09-07 11:45:31 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

パンに餡子(あんこ)が入っているから、アンパンなわけですが、もともとのパンを考えると、これは、はなはだ奇妙なものです。

Photo  パンが日本へ渡ってきたのは、江戸時代の「和漢三才図会(わかんさんさいずえ)」には、「波牟(パン)とは蒸餅(じょうべい)、即ち饅頭の餡なきものなり。阿蘭陀人(おらんだじん)一個を用ひて一食分となす。これに添えて羅加牟(らかん)を吃らう。羅加牟(らかん)なるものは鰤魚の肉をバンテイカの油に粘(つ)けて脯(ほ)と為して片を切るものなり。」とあります。羅加牟(らかん)というのはなにものかというに、ブリの身をバンテイカ油(ブタのラードであるという)に漬け、干し肉として切ったもののことである。「和漢三才図会」は1712(正徳2)頃出版された日本の類書(百科事典)です。

 どうやら、このあたりに、パンに餡子が入った理由がありそうなのです。「饅頭の餡なきものなり。」とは、何故饅頭に餡子が入っていないのだと、いかにも不満たっぷりではありませんか。Photo_2

 Photo_3 日本最初のパン屋は明治2年(1869年)、創業者木村安兵衛(きむらやすべえ) 、英三郎 父子が日本人として、初めて東京芝日陰町(港区新橋駅付近)に「文英堂」の店名でパン屋を開業したのです以後、京橋区尾張町(現在の銀座付近)に移り、屋号を「木村屋」と改称。Photo_5 治7年(1874年)日本食文化の代表とも言えるパンに餡を入れた「酒種(さかだね)あんぱん」が誕生致しました。これが「アンパン」の始まりです。

 餡のない饅頭に餡が入ったのですから、長い間の課題だった日本人の気分も、多分すっきりしたと思います。「アンパン」は銀座名物といわれるくらい評判になったそうです。

 Photo_4 Sakuraanpan 明治8年(1875年)44明治天皇が、向島にある水戸藩地の屋敷にお花見に訪れることになました。その時に、木村パン屋では陛下に「アンパン」を献上することになった。木村安兵衛はこの日のために工夫を凝らして従来の「アンパン」よりも「より日本らしい」パンを開発した。それは桜の塩漬をパンの中央に入れた「桜アンパン」でした。この日は「アンパンの日」として、国の記念日に認定されていますが、厳密にいうと「桜アンパンの日」なのです。

 中央に桜の花がのった丸いパンは、まるでおなかにヘソがあるように見えました。そしてこれが木村屋の「ヘソパン」として有名になり、今もその流れをくんでつくられているのです。

20 明治20年(1887年)蠣殻町(かきがらちょう)中嶋座の正月興行で、木村屋Photo_8 のチンドン屋宣伝風景を取り入れ、評判になったそうです。

、明治33年(1900年)木村屋3代目儀四郎が、ジャムパンを新発売し、大評判となりました。

Photo_9 明治時代には麺麭(めんぽう、麺包)という呼び名が一般的になります。小麦で作った饅頭のPhoto_6 2 Photo_7 ようなもの、という意味です。しかし、大正時代に入ると、その呼び名は廃れ、カタカナで「パン」と称されるようになります。

軍隊堅麺麭(ぐんたいかたパン)」は大東亜戦争中(昭和16128日に始まり、昭和20815日に終戦当時の鯖江連隊より兵隊さんが木村屋さんに派遣され、軍人用のパンを焼いて携帯食としたのです。

Photo_10 私も「アンパン」が大好きです。外国の人には奇妙に見えるかもしれませんが、「アンパン」は木村屋さんの大発明ではないでしょうか。木村屋さんが「アンパン」を発明していなかったら、子供たちの大好きな「アンパンマン」は登場しなかったのです。

したっけ。

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倉内佐知子

「涅槃歌 朗読する島 今、野生の心臓に 他16篇(22世紀アート) 倉内 佐知子 22世紀アート」

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