都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
こ-しんとう【古神道】儒教・仏教など外来思想の流入以前に存在したとされる古代の神道。→復古神道
辞書:大辞泉より
現在の神道の源流である古神道は、原始宗教とも呼ばれ、森羅万象(しんらばんしょう:宇宙に存在する一切のもの)に神や命や魂が宿るという自然崇拝・精霊崇拝(アニミズム)を内包し、現在の神社神道にもその名残は多くあり、古神道としての民間信仰と共に息づいている。
神道においての世界観は、現世(うつしよ)と常世(とこよ)からなり、常世は神の国や神域であるが、常夜と常世という表記に別れ、それぞれ「二つの様相」を持ち、常世は理想郷や天国とされ、富や知恵や不老長寿を齎(もたら)す夜のない世界であり、常夜は黄泉(よみ:地下の泉。あの世。)の国や地獄とされ、禍や厄災を齎(もたら)す夜だけの世界とされた。
このような世界観は近年まであり、逢魔時(おうまがとき:大禍時(おおまがとき)は、夕方の薄暗くなる、昼と夜の移り変わる時刻を意味する)や丑三つ時(うしみつどき)には常夜との端境で「怪異のもの」に出合う時という意味も含まれ日常にとけ込んでいた。
同じように神も「二つの様相」を持ち、荒ぶる神(あらぶるかみ)と和ぎる神(なぎるかみ)という禍福をそれぞれもたらす時があり、荒御霊(あらみたま)と和御霊(にぎみたま)ともそれぞれ表現される。これら、常世から来た神や、荒ぶる神やその仮の姿や、またはその依り代(よりしろ:神霊が寄りつくもの)が、いわゆる妖怪とも表現された。
その中で、神社神道の体系に組み込まれなかった各地に残る天狗神社・河童神社・白蛇神社や・宝船(七福神)などは、古神道(日本の民間信仰)の神々が起源であるともいえる。
また、食べ物や道具に対する感謝から、鯨塚(くじらづか:海浜において岸に打ち上げられた鯨を祀った塚。これは鯨を食べて空腹を満たしたことへの感謝である。)や道具塚・包丁塚や、無念をもって亡くなった者に対する慰霊として、蒙古塚(西暦1274年文永の役で攻めて来 た蒙古軍の船が座礁し際に、兵士百余名が捕虜となり、半数は京へ残りの兵士は太宰府水城の地で処刑となり、その兵士達の供養のために建てられた。)や刀塚などがあり、それらも「そこに宿る魂が、荒ぶる神にならぬように」と塚(つか:土を小高く盛って築いた墓)を建立し祀っているが、現在の神社神道とは切り離されたものであり、その根底にある行為や思いは妖怪に対するものと同じである。
九十九神(つくもがみ)とは、長く生きたもの(動植物)や古くなるまで使われた道具(器物)に神が宿り、人が大事に思ったり慈しみを持ったりして接すれば幸(さち)をもたらし、そうでなければ荒ぶる神となって禍をもたらすといわれる神である。
ほとんどが、現在に伝わる妖怪とも重複し、荒ぶれば九尾の狐であり、和ぎればお狐様となると解釈される。
『不動利益縁起絵巻(ふどうりやくえんぎえまき)』にも安倍晴明(あべのせいめい:921年~1005年平安中期の陰陽家)とその使役される式神が5体描かれていて、鶏や角盥や五徳を擬人化したものである。
佐脇嵩之『百怪図巻』の「猫また」
動物では九尾の狐・猫又・犬神などがある。
したっけ。