団塊オヤジの短編小説goo

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都月満夫の短編小説集2

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都月満夫の短編小説集

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赤飯の起源について考える

2009-09-14 15:25:00 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

Photo 古代より赤い色には邪気を祓う力があるとされ、例えば墓室の壁画など呪術的なものに赤い色が多く使われています。

神道は稲作信仰を基盤として持ち(田の神など)米はとても価値の高い食 Photo_6 と考えられてきました。このため、古代には「赤米」を蒸したものを神に供える風習があったようなのです(現在でもこの風習は各地の神社に残っている)。その際に、お供えのお下がりとして人間も赤米を食べていたと想像されます。

赤飯」は文字通り赤い色をしたご飯のことで、「セキハン」、「アカマンマ」あるいは訛って「オコマンマ」とか呼ばれています。

 現在は、もち米小豆とその煮汁を混ぜて蒸し、赤い色をだしますが、その昔は「赤米」と呼ばれる赤い米を使って作ったので、色が赤かったのです。

 Photo_2 Photo_3 Photo_4 この「赤米」というのは、わが国が稲作を始めたころに栽培していた、非常に原始的な米の品種で東南アジア原産です。

米の源流をたどると、インディカ種とジャポニカ種にたどりつく。インディカ種は赤っぽい色をしており、ジャポニカ種は白である。縄文末期に日本に初めて渡ってきた米はこの2種の中間の種類で、ちょうど赤飯くらいの色だったようです。

2

  今ではわずかに、琉球列島や九州・四国の南部地方に残っているだけです。Photo_7

 このように、極めて古い品種のために、遠い先祖を祀(まつ)って祝う日などには、この「赤米」を炊いて先祖の霊に供えるという習わしがあったのです。

 ところが、次第に「赤米」を栽培しなくなり、「赤米」の変わりにPhoto_8小豆」で色をつけて赤いご飯を作り、それを供えるようになったのです。「赤飯」にゴマを乗せるのは白いご飯を赤くしたことを神様にゴマかすためだそうです。

今では、先祖の供養だけではなく、めでたい特別の日には赤飯を炊いてお祝いするようになりました。

Photo_9

Photo_10  ちなみに、江戸時代には、お祝いの「赤飯」に対して、葬礼の時には「白い強飯(こわめし)」を用いました。

ところで、東南アジアでは、今でも「赤米」が栽培されていて、太平洋戦争当時、日本軍の兵士たちは、その米を炊いて、日本の「赤飯」を偲んだということです。

Photo_11

おまけの小ネタ

北海道では「小豆(あずき)」のことを「小豆(しょうず)」と呼び ます。赤飯に入れるのは「小豆(しょうず)」ではなく「甘納豆」です。(十勝だけかも・・・)

したっけ。

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倉内佐知子

「涅槃歌 朗読する島 今、野生の心臓に 他16篇(22世紀アート) 倉内 佐知子 22世紀アート」

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