都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
「年取りの冷や水」とは、老人が年甲斐もないことをすることをいいます。
この言葉を聞いて、皆さんはどのような場面を想像するでしょうか。お年寄りが真夏に冷たい水で行水でもしている場面を想像された方もいるのではないでしょうか。でも、それは間違いです。
さて、この「冷や水」は文字通り冷たい水のことですが、そんじょそこらの水とは違います。
隅田川の真ん中から、すくってきた水なのです。江戸時代の「水売り」が売っていた水のことです。
真夏になると「隅田川の水は真ん中がきれいだ」といって、桶の水の周りに杉の葉を立て、小さな氷片を浮かばせ「冷や水やぁ、冷や水やぁ」と掛け声とともに売り歩いたのです。
どんぶり1杯、1文で、今のお金にすると20円ぐらいです。
ところでこの「冷や水」何しろ隅田川の水です から、とても清潔とはいえず、若者はともかく、からだの抵抗力の弱った年寄りは、お腹をこわすことが多かったのです。
“冷や水を呑んで息子に叱られる”と川柳に詠まれたように、年寄りが冷たい水を飲むなど、年甲斐もないこととされ、「年取りの冷や水」という比喩が生まれたのです。
現在では考えられもしない、この日常用の飲料水売りが、何故行われていたかというと、江戸の町は、井戸を掘るにしても、塩水が出てきて、非常に深い井 戸を掘らなければなりませんでした。
飲める水といえば、溜池(ためいけ)や池袋、沼袋といった、地下に溜まった宙水(ちゅうす い)や伏流水(ふくりゅうすい)の池が、ところどころに点在しているだけだったのです。
そこで「はばかりながら、水道の水で産湯をつかった江戸っ子でぇ」という啖呵(たんか)があるように、江戸には水道水が引かれるようになったのです。
最初の上水道は小石川(こいしかわ)上水、または神田(かんだ)上水といわれるものです。
しかし、もともと水源の水量が少ない上に、地下水道の途中にできた大名屋敷が、その水を庭園などに使うために、すぐに不足してしまいます。
そこで、なかなか江戸の隅々まで潤うことがなかったために、水屋という商売がはじまったというわけです。女性や子供にはきな粉や砂糖をかけて甘くして売るものもいたといわれています。
また、水撒きという商売もあり、たいていは町内で、ここからここまでと指定して頼んだようです。
玉川上水や神田上水が引かれて、町に水道ができると、「水銀(みずぎん)」と呼ばれる水道料金もありました。1ヶ月の水銀は16文から20文程度、とものの本には書いてあり、意外と安いものであったよう弟子。しかし、これは水道が使える人が払う水銀で、水売りが運んでくる水を買う人たちは、どんぶり1杯1文ですから、高い水銀を払っていたことになります。
ただ、江戸の人口増加にともなって上水道は増設されていきます。
また、江戸の三上水というのは、神田上水、玉川上水、仙川(せんがわ)上水です。
時代が進み、飲料水用の水も十分に確保されてくると、次第にこの水屋も廃れていきました。
ただし、この 「年取りの冷や水」という比喩は今も尚使われているわけですが、最近の老人の元気な姿を見ると、この言葉も影が薄いようです。
したっけ。