都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
刺青は、かなり昔からある風俗であることは、以前にも書きました。わが国でも埴輪の紋様な どのも刺青と思われるものがあります。
ただし、現在日本で行われている刺青は、江戸時代に入って からのもののようです。最初は京、大阪の遊女町から起こりました。
客の男と遊女が手を握り合い、親指の根元が手首で交わるところに一つ黒子(ほくろ)を彫り、その黒子(ほくろ)を見て相手を忘れまいと神に誓ったのが、その始まりといわれているのです。
そのほかにもいくつか方法があり、男の歳の数だけ腕に黒子(ほくろ)を彫ったり、相手の名前の下に「命」と彫ったりしたものがありました。この場合、「命」の字の真ん中の棒を長くして、「命に懸けて」その誓いが長く絶えない事を示しました。
つまり、この入れ黒子(ぼくろ)は、遊女が客に誠意を示すものだったのです。
しかし、この誠意は、客を丸め込む戦術に過ぎないもので、消しては彫り、彫っては消しの繰り返しが、当然のように行われていました。
入れ黒子(ぼくろ)を消すには、もぐさで焼き消す方法がとられたため、こんな川柳も作られました。
ところで、今のような「唐獅子牡丹(からじしぼたん)」や「竜と虎」のような絵画的な刺青にな ったのは、中国の『水滸伝(すいこでん)』の影響とされています。『水滸伝』は日本に紹介されてから、大変なブームとなり、岡島冠山(おかじまかんざん)の『通俗忠義水滸伝』、近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)の『和訓水滸伝』、山東京伝(さんとうきょうでん)の『忠臣水滸伝』、滝沢馬琴(たきざわばきん)と葛飾北斎(かつしかほくさい)による『新編水滸伝』などが相次いで刊行されました。
『水滸伝』には、九匹の青竜をからだに彫っていた史進(ししん)や、花の刺青の魯智深(ろちしん)が登場します。彼らの豪快な生き方に共鳴し憧れを持つものが多かったということでしょう。
江戸時代においても、こういった刺青をするのは血気盛んな職業のものが多かったようです。例えば、火消し、駕籠かき、魚屋、船頭、それに博徒や侠客などがその代表的な職業といえましょう。
なお、“遠山桜”で御馴染の遠山金四郎は実在の人物ですが、あのような桜吹雪の刺青はなかったという説が有力です。一説には“女の生首”の刺青があったともいわれますが真偽のほどは分かりません。
したっけ。