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都月満夫の短編小説集2

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「パンツ」について考える

2009-09-06 16:01:04 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

パンツ【pants1 ズボン。スラックス。「コットン」「ルック」 ズボン式の短い下ばき。ブリーフ・ズロースなど。

辞書:大辞泉より

Photo

Photo_2  下着のパンツはアメリカでは、アンダーウエアと言う。下着は「ンツ」、ズボンは「パン」と発音して区別する場合もある。区別するため下着のパンツを特に「アンダーパンツ」と呼ぶこともあるのです。

日本では1980年代までは(成人)女性の下着を指し示す言葉としてパンティーpanties)が一般的であった。 1980年代後半ぐらいから男女・年齢の区別なく使われる「パンツ」が広く用いられるようになった。日本の下着業界では販売戦略と一般への普及も踏まえて女性用はショーツと呼称するようになったが、英語ではショーツとは男子の半ズボンの事を指す。尚、アメリカでは正式用語も呼称においても「パンティー」である。

 もともと短い腰巻のような男性用下着「ロインクロス」が発達し、「ズロース」となり、それが女性用として使われるようになったのは、16世紀のイタリアなのです。

さらに、18世紀にイギリスに伝わり、「ドワローズ」となり、日本に入ったとき、なまって「ズロー ス」となったのだそうです。

どことなくエロい感のある「ズロース」、ヨーロッパからきた名前だったなんて……。

Photo_16 さらに、日本人で初めて西洋式の女性の下着「ズロース」を手にしたのは豊Photo_3臣秀吉だという。

ポルトガル人の献上品に入っていたのが最初だそうだが、当初は着用された記録がなく、腰巻時代が続いた後、明治になって、ようやく鹿鳴館に集う上流階級の貴婦人たちの間で、ドレスにあわせて着用が始まったのだそうです。

Photo_12 ところで、肝心の「パンティー」という名前が登場したのは、昭和31年(1956年)に発表された「ウィークリーパンティ」と呼ばれるもの。その日の気分にあわせてパンツの色をかえるよう、7色のパンティーをセットにしたもので、大変な話題になったそうです。

パンツが生まれたのは古代ギリシャ時代であるといわれている。その歴史は古く、紀元前6世紀にまでさかのぼることができます。

Photo_11

下半身をあらわにした男どもがぶつかりあう祭(スパルタカスの戦いに代表される)において しばしば下半身の無防備さについて議論が交わされてきた。その問題を解決するため生まれたのがパンツであり、発明初期のころは動物の皮に2つの丸い穴を開けて足を通す形がとられたそうです。

日本で現在一般的に使用されるパンツは、飛鳥時代に仏教と共に伝わったもので、江戸時代にはパンツは半丁(はんてい、もしくはぱんてい)と呼ばれたそうです。

Photo_10 「褌(ふんどし)」という漢字は衣偏(ころもへん)に「軍」と書きます。もともとは戦闘服に関係していたらしい。「戦国時代には戦死者の身分は褌の有無で判断した」という話もあるようです。織田信長も上杉景勝(かげかつ)も直江兼続(なおえ かねつぐ)も、麻の褌をしていたのかな。死んだときに褌をのぞかれるのがわかっているわけですから、新しい褌(ふんどし)をおろし、緊褌一番(きんこんいちばん)で出陣するのです。

麻の褌は戦国時代までは主流だったらしい。江戸に入り、徐々に木綿と主役を交代したとのこと。

Photo_7

Photo_5人類誕生のとき全裸であったが、アダムとイブの時代に、木の葉で陰部を隠すようになり、さらに文明が進むにつれて衣類で覆うようになった。すなわち人類最初の叡智が「ふんどし」であったのです。

人類学の坪井正五郎(1863-1913)によると、褌(ふんどし)の起源は先史時代にさかのぼると考えられるが、中国・朝鮮系統の袴状の蔽腰服物と、南方系統の帯状のものとに分類され、日本では奈良・平安時代、上流男子は袴状の蔽腰服物を、下流男子は帯状のものを着用していたとある。女子は「腰巻き」が一般的であったとされています。

Photo_13Photo_14 江戸期、男子の「六尺褌(ふんどし)」「越中褌(ふんどし)」に代表される細長い帯状の布を股間に通し、腰に巻きつけるスタイルは、東南アジアやオセアニアに多く見られる。古代ギリシァでは「キトン」と呼んで、長方形の布を折って体に巻きつけることを基本としていた。したがって、下着もヨーロッパから中国にかけては「腰巻き」、あるいは「さるまた式」が主流で、「ふんどし」は西欧では野蛮な奇習とみられる風潮にあったが、日本では江戸から明治にかけて、男子の「ふんどし」スタイルが主流であった時代が長く続きました。

Photo_17  昭和になって、洋装化により、「さるまた式」のパンツとなり、日常における褌(ふんどし)類のPhoto_6 着用はほとんど見られなくなった。女子の「腰巻き」も昭和戦前期まで続いたが、戦後「パンティー」「ショーPhoto_18ツ」となった。ところが近年、褌(ふんどし)は通気性が良いこと、締めつけ感がないことなどから、愛用する女性も増えてきた。パンドールショーツ」「ななふん」など女性専用褌(ふんどし)がいま注目されているそうです。

日本書紀』(720年)「雄略

Photo_15

天皇」13( 469) 9月にこのよ うな記述があります。天皇は采女(うねめ)を集めて、着物を脱がせてフンドシを締めさせ、皆の前で相撲をとらせた。

長い年月を経て、女性は褌(ふんどし)のよさを再認識したということなのでしょうか。

したっけ。

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倉内佐知子

「涅槃歌 朗読する島 今、野生の心臓に 他16篇(22世紀アート) 倉内 佐知子 22世紀アート」

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