都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
啓蟄(けいちつ)は、二十四節気の1つ。または、この日から春分までの期間。
一般的な定気法にあっては、太陽黄経が345度のときで3月6日ごろ。恒気法にあっては冬至から76日目で3月8日ごろ。
大地が暖まり冬眠をしていた虫が穴から出てくるころ。二月節。
暦便覧には「陽気地中にうごき、ちぢまる虫、穴をひらき出ればなり」と記されている。
柳の若芽が芽吹き、ふきのとうの花が咲くころ。
啓蟄のことを日本以外の漢字文化圏では驚蟄※と書く。また日本でもそう書く場合がある。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
※本家の中国が「驚蟄」ですから、こちらが本来の漢字のように誤解する方もいるのですが、そうではありません。日本の「啓蟄」が本来の字で、中国の「驚蟄」は、日本に暦が伝来した後で変化した言葉なのです。
中国や日本の太陰太陽暦で用いる二十四節気(にじゅうしせっき)の一つで、二月節である。冬ごもりをしていた虫が、気候が暖かくなって外に出てくる時期という意である。太陽の視黄経が345度に達するときで、太陽暦の3月6日ころにあたる。
このころ初雷(はつかみなり)が鳴り、これを聞いて虫が土中からはい出すと考えたので、これを「虫出しの雷」ということもある。
「余寒いまだ尽きず」といった天候の季節にあたり、年によっては南国でも一時、雪になったりする。しかし春の彼岸も近いので、日の長くなり方も急であり、すでに光の春の季節は始まっているとみることができる。
出典: [ 日本大百科全書(小学館) ]
啓蟄は、古代中国の周王朝時代に成立した『礼記』の月令にある「蟄虫始振」 から生まれた古い言葉なのですが、この言葉が漢王朝の時代に「驚蟄」に直されました。この変更には中国の「諱(いみな)」※の慣習が関わっています。
※ 「諱(いみな)」1 生前の実名。生前には口にすることをはばかった。2 人の死後にその人を尊んで贈る称号。諡(おくりな)。3 《1の意を誤って》実名の敬称。貴人の名から1字もらうときなどにいう。
王や皇帝と言った場合はその王朝が続く間は、この文字を使う事を避けるのが通例でした(中には、その影響を考えて避諱を免ずる詔を下す君主もいました)。
啓蟄の「啓」は前漢王朝の六代皇帝、景帝(在位期間:前156年 - 前141年)の諱(いみな)でしたので、この文字が使えな くなり、これと意味の似ている「驚」という字で置き換えられるようになったのです。
漢王朝が滅んでからは、「啓」を避ける必要はなくなり、暦の上の文字も再び啓蟄に戻ります。そしてこの「啓蟄」に戻っていた時代の暦が日本に輸入され、日本では「啓蟄」の文字が使われるようになりました。
本家中国ではどうなったかというと、一度は啓蟄に復したのですが、使い慣 れた「驚蟄」の方がよいと言う事で、再度「驚蟄」に戻されました。
日本には、もちろんこの「驚蟄」と書かれた中国の暦も輸入されてきたので すが、日本においては中国の王朝の諱を避ける必要もありませんし、「驚蟄」を使い慣れたと言う事もありませんでしたので、変更されることなく啓蟄が使われ続けています。
結果的には、日本の二十四節気の方が、二十四節気本来の文字を今に伝える 結果になっています。本家と元祖の争いではありませんが、元祖は中国なのですが、本来の意味を伝えている本家は日本なのです。
したっけ。