都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
昔、死の恐怖から逃れようと、懸命に修行を積んだ修験者がいたそうです。
ある時、その修験者がお釈迦様にお会いになったそうです。
修験者はお釈迦様に言ったそうです。
「私は25年間修行を積んでまいりました。」
お釈迦様は、その修験者にお尋ねになったそうです。
「それで・・・、何が出来るようになりましたか。」
修験者は得意そうに言ったそうです。
お釈迦様は修験者におっしゃいました。
「随分無駄な25年間を過ごされましたね。舟賃を払えば向こう岸に行かれるものを・・・。」
死を怖れるあまり、死の恐怖に打ち勝とうなどと考えてはなりません。死は誰にも平等に訪れます。怯えればよいのです。怯えて暮らせばよいのです。生きるということは、そういうことなのです。
しかし、生きるための努力を怠ってはなりません。死を怖れ一所懸命に生きなくてはなりません。生きることを諦めてはなりません。
仏教の(お釈迦様)の教えとは、そういうものだそうです。
そのようなことを書いてあるのを読みました。
したっけ。
彼岸と行事
彼岸は春分の日と秋分の日の前3日と後3日の間の3日間(春・秋分も含み)。暦の上では雑節の中に入ります。2010年の春分の日は3月21日です。
春分(秋分)の3日前の日を「彼岸の入り」と言い、3日後を「彼岸の明け」と言います。春分・秋分は、その中間に位置しますので、「彼岸の中日」と呼ばれます。
この彼岸は、仏教行事であるのですが、日本独特の行事で他の仏教国には無いものだそうです。ちなみに、「彼岸」とだけ言った場合、これは春の彼岸を指します。秋の彼岸は「秋彼岸」または「後の彼岸」と言うのが本当です。
昔から、彼岸には先祖の霊を敬い墓参りをする風習があります。また地方によって若干の違いはありますが、ぼた餅、おはぎ、団子、海苔巻、いなり寿司などを仏壇に供え、家族でもこれを食すと言った風習も残っています。
彼岸(仏教説)
彼岸とはその名の通り「岸の向こう」。その向こう岸とは悟りの世界のことです。サンスクリットではパーラミター(波羅蜜多)を漢訳した「到彼岸(とうひがん)」のことだそうです。煩悩に満ちた世界「此岸(しがん)」から解脱した悟りの世界、涅槃(ねはん)を指します。こちら(此方)の岸とあちら(彼方)の岸と言う意味です。
さらに煩悩に満ちたこちらの世界を現世、涅槃(ねはん)の世界を死後の極楽浄土ととらえ、あちらの世界と考えたところから、亡くなった先祖たちの霊が住む世界を「彼岸」と考えるようになりました。このことから「彼岸に墓参り」をおこなうのです。
なお、この時期には「彼岸会」という仏教の法会が開かれ、これが現在の「彼岸」の由来となります。最初に行われた彼岸会は大同元年(806年)に平城天皇が早良親王の霊を鎮めるために行ったと言われております。
日本の特に浄土系の信仰では一般に死後は阿弥陀如来の導きにより人は彼岸に渡ることができる、と考えられているため、既に彼岸の世界へ行った人たちを供養するとともに、まだ辿り着けずにいる人たちに早く向こうへ辿り着けるように祈る、というのがこの彼岸の仏事の趣旨だそうです。
春分・秋分の時期にこの彼岸法要を行うのは、太陽が阿弥陀如来の浄土の方角である真西に沈むためであるといわれています。つまり阿弥陀浄土を観じるのに最適ですし、迷っている人にとっては太陽の方角が進むべき道ということになります。
彼岸(民俗説)
一方彼岸の語源は「日願」であるという説もあります。これは、日本古来からある太陽信仰の系統のものです。
太陽信仰の側からも春分・秋分は太陽が真東から出て真西に沈むとともに昼と夜の長さが同じということで、これは非常に重要な節目でした。「日の願」ということばもあり、これから「日願」になったとも言われています。「日天願」と呼ぶ地方もあるそうです。
一般にこういった日本の行事というものは仏教と民間信仰が様々に混雑されて出来上がっていることが多いのです。
「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉もあるように、この時期が季節の変わり目になります。
牡丹餅とお萩餅
牡丹の花は春に咲きますので、春は牡丹餅といい、萩の花の咲く秋はお萩又は御萩餅(あるいは、萩の餅)と言うそうです。
牡丹餅は牡丹の花の様に大きめに作り、御萩は萩の花の様に小振りに作るのだといわれていますが真偽の方はわかりません。
ちなみに、サンスクリット語の[bhukta (飯)]+[mridu(柔らかい)]が「ぼた+もち」となったのだと言われています。
ヒガンバナ(学名:Lycoris radiata)は、ヒガンバナ科ヒガンバナ属の多年草。クロンキスト体系ではユリ科。リコリス、曼珠沙華(マンジュシャゲ、またはマンジュシャカ サンスクリット語 manjusaka の音写)とも呼ばれる。学名の種小名 radiata は「放射状」の意味。花期:9月中旬。
したっけ。