都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
私の爺さんは酒飲みであった。山の仕事をしていた爺さんは、冬は山に行ったきりだ。丸太を切り出す仕事は、冬が最盛期なのだ。重機など無い時代、雪は格好の条件となる。冬はこの成長が止まることと、夏には入れないところまで入っていける。そして、切り出した丸太をソリのように滑らせて運ぶのである。
冬の山の飯場はシバレル(北海道弁:寒い)。だから皆で酒を飲むのであろう。
私が小学校高学年のときに、爺さんは血を吐いた。洗面器一杯とも、バケツ一杯とも言われている。胃潰瘍であった。
当然、爺さんは手術をすることになった。
ところが、麻酔が効かない。酒に浸っていた体は麻酔が効かない体になっていたのだ。医者は私の父親を含め三人の息子たちを呼んだ。
「このまま手術をするから、体をおさえつけていろ!」そう医者は言ったそうだ、
手術が始まった。爺さんは僅かにうめき声を上げただけであったそうだ。しかし、押さえつけていた息子たちは必死であったそうだ。
それはそうだろう。生身の体を切り裂かれ、胃を3分の2も切り取られているのだ。力が入る。爺さんはこの手術を気絶せずに乗り切ったのだ。
明治の男は凄い。爺さん手術は、この病院の語り草になって、代々看護婦に引き継がれることになった。
「なあに…、痛くて声が出なかったのさ。」そういって爺さんは笑った。
爺さんは、熊の手で作った煙草入れから、煙管(きせる)に刻み煙草を詰め美味そうに煙を吸い込んだ。
昭和30年代前半の話である。
造材
造材は冬から春先にかけての仕事でした。次のようなメリットがあったからです。
・ 夏は切った木を置いておくとカビや虫(あるいは虫の卵)などがつきやすく、木が傷む。寒い冬はその心配がない。
・ 切った木が倒れる時、雪がクッションになり木が痛みにくい。
・ 夏は下草が生えて山の奥に行くのが大変。雪が積もり葉も落ちれば、夏には行けないような山奥まで入ることができる。
このように、造材の仕事は厳しい寒さの中で行われたのですが、実は雪と寒さを上手に生かした仕事だったのです。
また、当時は冬山に入ったのは農民も多かったといいます。冬の間仕事がなくなる農民にとっても、冬山 造材は生活上必要なことだったのでしょう。
したっけ。