都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
私の爺さんは、胃潰瘍の手術のあと腕を骨折したが、このときも、麻酔が効かぬまま手術が行われた。生身のまま腕を切り裂かれ、骨にドリルで穴を開け、金属で接合された。
山の仕事をしていた爺さんは、現役引退後も十勝の山を知り尽くすものとして、会社に残った。他社からも新しく入る山について聞きにくるものが後を絶たなかったという。
あるとき、爺さんは道に倒れているところを発見され、家に運び込まれた。意識がない。医者は手の打ちようがないと匙を投げた・・・。当時自動車の往来は少ない。事故にあったのか、転倒したのかさえわからない。爺さんは家で寝たきり、家族はただ見守るだけであった。
爺さんは、1週間ほど眠り続けて目を覚ました。
「腹が減った。」とお粥を食べた。何があったのか爺さんには記憶がない。
医者は、とにかく良かったと言うだけであった。
昭和30年代半ばの話である。
爺さんが70歳ごろであろうか、咽下障害のために、誤咽性肺炎を発症した。病院で検査の結果、動脈瘤も発見された
。医者は、動脈瘤は非常に危険な状態だが高齢のため手術は出来ない。このまま死を待つしかないと、息子たちに伝えた。
息子たちは交代で病院に泊まり、その時を待った。
しかし、数ヶ月の入院生活の後、爺さんの咽下障害は奇跡的に回復した。
老齢のため、もう歩行は困難であろうと医者は言った。
だが、爺さんの山で鍛えた脚力はそんなやわなものではなかった。自立歩行が出来るようになり退院した。まさに、不死身であった。
昭和40年代初頭の話である。
その後、私は結婚し、4代で同居を始めた。爺さんは曾孫と遊ぶためにトランプを覚え、いつも遊んでくれた。
ある日の朝、爺さんが起きてこない。オヤジが見に行くと布団の中で死んでいた。前夜、曾孫と遊んでいて元気だったのに・・・。
看護婦たちの声が聞こえる。
「え、その人って、血をバケツに一杯はいたっていう人・・・。」
「麻酔なしで、胃を切ったっていう、あのオジイチャン・・・。」
爺さんの伝説はこのときまで語り継がれていたらしい。
爺さんの葬式は、それは、それは盛大なものであった。大雪のあとにも関わらず、爺さんを
知る大勢の人たちが訪れた。お寺始まって以来というほどの生花は本堂を溢れ駐車場にまで並べられた。
爺さん自慢の「羆の手の煙草入れ」は、御棺に納められ、爺さんとともに旅立っていった。
昭和55年3月5日行年83歳であった。
したっけ。