都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
人間が自分たちの姿の「雛型(ひながた)」をつくり、それを生きていくうえで心の支えにしよ うとしたのは、人類文化の始まりとほとんど同じくらい古い時代のことと思われるそうです。木や土、石、藁(わら)などでこれをつくり、神や精霊が宿るものとして神聖視したり、あるいは人間の身代りとして悪病や災難除け(さいなんよけ)に用いたり、安産、豊作を祈るまじないを目的にしたのが人形の始まりなのだそうです。
現在でも多くの民間伝承や世界各地の少数民族の生活にそれがみられるといいます。病気にかかった際には、木や草で人間の形をつくり、それに病気を移らせて海に流す習俗とか、人形で子供を授かることを祈願するとか、多くの獲物を得たり、穀物を豊かに実らせたりすることを人形に祈ることは、石器時代にもあったらしい。
縄文、弥生(やよい)式文化時代の遺跡からも、原始宗教に
結び付いた土偶、土面や、軟質の石でつくった岩偶(がんぐう)※などが発見されています。
※岩偶:狭義には、縄文時代晩期に東北地方でおもに出土する人形の石製品。
古墳時代になると、古代中国の影響を受けた埴輪(はにわ)が生まれます。この土人形は信仰の対象の祭具としてつくられたのです。その当時の風俗を表現している点で、現在の人形の祖型が感じられます。
古代の人形(ひとがた)は、神聖な力をもつものと信じられていました。それが時代の移り変わりとともに子供の愛玩物になって、たとえば宗教的な儀礼の役割を果たした信仰人形が、遊び用に与えられていったとも考えられるのです。子供への「みやげ」ということばは、「宮笥(みやげ)」つまり神々の宮にお参りして求めてくる「器物」という意味をもつのだそうです。笥(け)とは食べ物を盛る器のことです。
祭器祭具類がしだいに玩具に変転していった過程がここに示されています。子供の誕生の初参りと氏神との結び付きをはじめ、四季を通じての行事や祭礼などにちなむ民間信仰から生まれた人形類が玩具化された例は、現在の郷土玩具に数多くみられます。
人形は時代とともに変転してきました。宗教的儀式や祭礼などに用いられていた人形が、しだいに遊び道具となって子供に与えられるようになったのです。また愛玩物になると同時に製作技法も進んできて、人形造型の美が鑑賞に堪えうるような美術工芸品にまで、その位置が高められるような発達ぶりを示したのです。