都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
八坂の庚申堂(京都市東山区金園町390)は、“八坂の塔”への坂道・夢見坂を登りつめた 右手にある。正式には『大黒山金剛寺庚申堂』と称し、天台宗に属する。
縁起には、『当山は、大阪四天王寺庚申堂・東京入谷の庚申堂(今は廃寺となっている)と並ぶ日本三大庚申堂の一つで、本尊・青面金剛は、飛鳥時代に中国大陸から渡来した秦河勝(はたかわかつ、聖徳太子に仕えた秦氏の長)により秦氏の守り本尊として祀られたもの。
平安時代、当代随一の験者であった浄蔵貴所(じょうぞうきしょ)が、すべての人々がお詣りできるようにと八坂の地に当時を建てた。今から約千年以上も前のことである。現在の本堂は、江戸時代・延宝6年(1679)の再建』とある。
八坂庚申堂の猿は「くくり猿」と呼ばれるが、同じような造形で奈良の元興寺の南・奈良町には「身代わり猿」が、飛騨高山には「さるぼぼ」がある。
欲のままに行動する猿の手足を縛り付けた姿は、人間の心に潜む悪や怠慢をコントロールすることを表すのだといいます。
中国では猿は魔除の力を持つと考えられており、三蔵法師のお供・孫悟空も、道中の安全を祈願して馬の腰に吊るした猿の御守りから発想された物語だそうです。
この「くくり猿」や「身代わり猿」、「さるぼぼ」の祖先は、孫悟空とルーツを同じくするものかもしれません。
くくり猿はまさに、お猿さんが手足をくくられて動けない姿をあらわしています。お猿さんは人間に近い動物といわれていますが、所詮は動物、欲のままに行動します。動物園に行けば、お猿さんは欲のまま走り回っていますね。 この姿を人間の中にある、欲望に喩えてあり、人間の中にある「欲望」が動かないように、「庚申さん」によってくくりつけられているのです。
※「庚申さん」:現在までに伝わる庚申信仰(こうしんしんこう)とは、中国道教の説く「三尸説(さ んしせつ)」をもとに、仏教とくに密教・神道・修験道・呪術的な医学や、日本の民間のさまざまな信仰や習俗などが複雑にからみあった複合信仰である。
「庚申信仰」に関しては諸説があるが、中国の道教の守庚申というのが、奈良末期に日本に伝来され、日本固有の信仰と交じり合い発展したのではないかと言われている。仏教が極楽往生を説くのに対し、道教では現世利益が叶えられるとあって江戸時代には民間信仰として庶民に広まった。青面金剛像(しょうめんこんごうぞう) をまつり、庚申信仰が受け継がれています。
くくり猿に願い事を託して、それを叶える秘訣は、欲を一つ我慢することです。
皆さんが願われたことを叶えようと努力しようとするとき、欲望のこころが動いて、それを妨げようとする、それをくくりつけ、庚申さんにうまくコントロールしてもらうためです。ですから、ご自身の中でお猿さんが走り回るようにこの欲の心が動き出し、悪いことをしたり、努力を怠ったりしそうなとき、庚申さんの怖い顔を思い出して、「罰が当たる」と自身を戒め、くくり猿のように欲望のこころをコントロールしてください。
良い行いをしていれば、くくり猿も庚申のお使いとして、皆さんを助けてくれることでしょう。
「庚申(こうしん)さん」と親しみを込めて呼ばれている「庚申」とは、 「かのえさる」のことなのです。
つまり 十干 (じっかん)、と 十二支 の組合せによるもので、昔は月日をこのように呼んでいた。60通りある組み合わせの一つが「庚申(かのえさる)」である。したがって「庚申」は60日に一度めぐってくるのです。
したっけ。