都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
八戸の八幡駒(はちのへのやわたこま)は、青森県八戸市に伝わる伝統の木馬である。 正式には八幡馬(やわたうま)といい、日本三大駒の一つに数えられている。
八戸地方は、鎌倉時代から軍用馬「南部馬」の産地であり、この地の馬は農耕馬としても庶民の暮らしを支え、古くから踊りや民話の題材にされてきた。
約700年前、京方面から一人の木工師が南部八戸の天狗沢に流れ着き、木工および塗り物業営む傍ら、余暇を見つけては馬の玩具を作っていたという。
いつごろからは定かではありませんが、後に笹子地域の農民達に伝わり、農閑期の副業として馬が造られるようになりました。
その後、櫛引八幡宮(くしひきはちまんぐう)の例祭では一騎一射の掟で流鏑馬(やぶさめ)が奉納されたが、このときの姿にちなんで一鉋一鑿(いっぽういっさく:いちかんないちのみ)の木彫りの馬の玩具を作ったのが始まりとされ、馬市で売られていく愛馬の無事を祈って木馬を買って帰ったといわれる。
また、参詣者の土産として売られるようになった。それが今日の八幡駒の起源とされている。
当時の八幡馬は、赤松の木を削り、ニカワでとかした鍋ススを塗り、本物の馬の毛を植え、千代紙で飾り、あぶみ、手綱や鈴をあらわす点星を描いた素朴なものでした。
他にも、白い馬、赤い馬、背中に人や猿をのせた馬、四つ車のついた台に乗った馬などが造られていました。
中でも代表的なものは、台車の上に大小の親子馬が乗っていて、ひもで引いて遊ぶ男の子用のおもちゃです。この親子馬は、八幡馬が「駒」ではなく「馬」と呼ばれる所以でもあります。
八戸の八幡駒は、福を呼ぶ馬として結婚、新築、卒業、出産、落成などのお祝い、記念品として広く親しまれている郷土民芸品である。
したっけ。