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関ヶ原の合戦で功績のあった黒田長政が慶長5年(1600年)に筑前52万石の太守として入国。新たに福岡城を築造した際、瓦師の正木宗七が、瓦粘土で人形を作って長政に献じたのが起源と伝えられています。
当時は素朴で、稚拙な土人形でしたが、江戸時代後期の1821年頃 (文政4年頃)、陶工師の中ノ子安兵衛・吉兵衛親子が彫刻の技法を採り入れた雛人形、五月人形を作って商品化。以後、博多素焼人形として販路を拡げていったようです。
その後も,「松尾文右衛門」「白水六右衛門」らが,博多人形の名をひろめていきます。明治中期以降、彫刻の山崎朝雲、画家の矢田一嘯の指導を受けて〝芸術品〟との評価を受けるようになり、博多の特産品として全国に知れ渡ります。
美人もの、童(わらべ)もの、能もの、歌舞伎ものなどと様々な人形が作られ、いまも100人近い博多人形作家が活動しています。ただ、住宅の洋風化で人形を飾る床の間などが消え、販売額は縮小傾向にあるようです。時代に合わせて壁掛けも作られています
博多人形は、1890年(明治23年)の第3回内国勧業博覧会と1900年(明治33年)のパリ万国博覧会に出品され、その名は国内のみならず、海外でもたいへん話題となりました。1976年に人形の部で伝統的工芸品として通商産業大臣の指定を受けています。
したっけ。