都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
「破魔矢(はまや)」とは、神社で正月に縁起物として授与している矢のことです。
元々は「浜弓浜矢(はまゆみはまや)」といって、宮廷や民間において、正月に「射礼(じやらい)」として弓矢を射たときに使われたことに由来します。
射礼(じゃらい)とは、宮中において毎年正月17日に行われていた歩射(ぶしゃ/かちゆみ )の競技の1つ。 『日本書紀』(720年)によれば古来より宮中における弓競技が行われ、最古の例 は清寧天皇4年9月1日(483年10月17日)とされています。
「はま」とは『貞丈雑記(ていじょうざっき)』(1843年)によると、「大和国(奈良県)吉野郡地方」や「土佐国(高知県)地方」で、正月に子どもが弓を射るときの的の穴をいうのだという。
すなわち,的は縄を巻いて直径1尺(30cm)ほどの輪をつくり、その中に鍋敷の形をした、差し渡し(直径)2~3寸(6~9cm)の穴をあけ、これを「はま」と称し、この「はま」を射るのが「はま弓はま矢」であるという。
かつては神奈川県の破魔矢奉製所が商標登録していまたが、現在は商標登録されていません。商標登録されていたときにはニュースでも「魔除けの矢」などと言っていたそうです。
この名称が広まったのは昭和以降だそうです。
※破魔矢発祥の地新田神社(東京都大田区)
御祭神の御塚後部には、源氏の白旗を立てたものが根付いた「旗竹」という昔から決して神域を越えることがない不思議な篠竹が生えており、雷が鳴るとこの竹がピチピチと割れたという言い伝えがあります。
江戸時代には、「エレキテル(摩擦発電機)」などを製作した蘭学者平賀源内がこの竹で厄除招福・邪気退散の「矢守(破魔矢の元祖)」を作り、広く御祭神の御神徳を仰がしめることを勧めました。
爾来、毎年正月初詣の人々に社頭で授与しています。神棚、お部屋、玄関などにお飾り下さい。
尚、東面または南面に飾ると、御加護の霊力がアップします。
新田神社HPより
また別の説では、元々は武家の風習で、戦場に赴く前に武運長久を祈願して神社に甲冑・刀・槍・弓矢などを奉納した際、参拝した神社から守護神のご加護の証として模擬の弓矢をいただき、これを戦場での御守護として奉ったことが発祥の由来と言われています。
江戸時代の後期には一般庶民の間にも広がり、男児の成長を祈願して神社に参拝した際に、破魔矢と破魔弓をセットしたものを授かったとされています。
明治以降は、魔を射り破るという意味合いから魔除けの弓矢と言われ、現在では主に初詣に神社へ参拝した際に、「開運厄除・家運隆昌」を祈願して破魔矢を持ち帰り、神棚に立て祀ります。
神棚のない家は、玄関の扉の内側上部に取り付けて「厄い封じ」として用いるのも良いとされています。
通常は購入後1年を経過すると効力を失うとされて買い替えるのが一般的ですが、古いものは次年正月の初詣の機会にでも神社に持参して焼却してもらいます。
したっけ。