都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
風邪の引き始めや、花粉症の時期には「くしゃみ」に悩まされる方も多いでしょう。「くしゃみ」は自分でコントロールできませんから、思わぬところで出てしまうことがあります。
さて、この「くしゃみ」は、古くは大体「鼻ひ」「鼻ひる」とか「鼻ひり」とか呼ばれていたそうです。
「ひる(放る)」とは屁や便などを体外へ勢いよく出すことです。「へっぴり腰」の「ぴり」がその例です。
つまり、鼻水を勢いよく「ひり出す」行為が「くしゃみ」だったのです。
「くしゃみ」の語源は「嚏(くさめ)」という語が変化したことばだそうです。
中世の日本では「くしゃみ」をすると鼻から魂が抜けると信じられていたそうです。
だから「くしゃみ」をすると寿命が縮まると信じられていました。
そこで早死にを避けるため「くさめ」という呪文を唱えるようになったそうです。
いつしかそれが「くしゃみ」という名前となり、その行為そのものを指すようになったようです。
「くさめ」という呪文の語源ははっきりしていないそうですが、くつか説があります。
古典文学として有名な平安時代の随筆集『枕草子』の「憎きもの」第28段の中に、こんな一文があります。
「くしゃみ」をして呪文を唱えるとは、一体何なのでしょう。
これまた古典文学として有名な、鎌倉末期の随筆集『徒然草』第47段に、その答えと思われる話があります。
ある人清水へまゐりけるに、老いたる尼の行きつれたりけるが、道すがら、「嚔、(くさめ)嚔」といひもて行きたれば、「尼御前何事をかくは宣ふぞ」と問ひけれども、應へもせず、猶いひ止まざりけるを、度々とはれて、うち腹だちて、「やゝ、鼻ひたる時、かく呪はねば死ぬるなりと申せば、養ひ君の、比叡の山に兒にておはしますが、たゞ今もや鼻ひ給はんと思へば、かく申すぞかし」と言ひけり。あり難き志なりけんかし。
ある人が清水寺に参った際、老いた尼と道連れになったが、道すがら、「くさめ、くさめ」と言いながら行くので、「尼御前、何をこんなに唱えておられるのだ」と尋ねたけれども、応えもせず、なおも言い止めなかったのだが、たびたび問われて、腹を立てて、「子供がくしゃみをする時、このように まじないをせねば死んでしまうと言いますから、私のお育てした若君が比叡山で稚児になっておられますが、今この時にもくしゃみをしておられるかもしれないと思うからこそ、このように唱えているのです」と言った。有り難い情愛である。
この話で次の二つのこと分かります。
① 「くしゃみ」をしたときには呪文を唱える。その呪文は「くさめ」である。
② 子供が「くしゃみ」をしたとき、(大人が)この呪文を唱えないと、その子供は死ぬと言われている
「くさめ」が、「くしゃみ」をしたときに唱える呪文のことだったことが分かりました。
では、どうして「くさめ」と唱えるのでしょうか。
「くさめ」の正体に関しては、主に三つの仮説があります。
1. 一つは、「休息万命 (くそまんみょう)急急如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)」という呪文が縮まったもの、という説。
2. もう一つは「糞食め(くそ-はめ)」、すなわち「糞食らえ!」という罵倒転訛ったもの、という説。
3. 最後は、単に くしゃみの擬音から来た、という説です。
『簾中抄(れんちゅうしょう)』(平安末期)、『二中歴(にちゅうれき)』(建久末年頃成立)など中世貴族の記した作法書や歌学書などには、嚏(くさめ)をしたときに誦すまじないとして「休息万命 急々如律令(くそくまんめい きゅうきゅうにょりつりょう)」と記されており、『簾中抄』は「クサメト云ハ是也」とあります。
鎌倉~室町時代の歌語の注釈書『拾芥抄(しゅうがおしょう)』(永仁2〈1294〉年以前に成立か)では、仏家の規律を説いた『四分律(しぶんりつ)』で、仏陀がくしゃみをしたとき、弟子たちがいっせいに「長寿(クサンメ)」と唱えた故事を紹介して、正月元旦の「くしゃみ」に「千寿万歳 急急如律令(せんずまんざい きゅおきゅおにょれいりつ)」と唱えるのはこの縁であると記しているそうです。
『四分律(しぶんりつ)』とは、仏教の上座部の一派である法蔵部(曇無徳部)に伝承されてきた律である。十誦律、五分律、摩訶僧祇律と共に、「四大広律」と呼ばれる。 この四分律は、これら中国及び日本に伝来した諸律の中では、最も影響力を持ったものだそうです。
詳しいことはよく分かっていませんが、「クサンメ」は古代インドの言葉で「長寿」という意味がある梵語だそうです。
つまり「休息万命(くそまんめ)」は長寿を意味する梵語から来ているのですね。
この「休息万命」を早口で唱えているうち、いつしか「くっさめ」になり、「くしゃみ」になったのだと言われています。
何故、くしゃみをすると長寿を願う呪文を唱えるのでしょう。それは、人々にとってくしゃみが縁起の悪いものであり、恐怖の対象だったからのようです。
始めにも書きましたが、昔の人たちは魂が飛び出すと考えていました。日本に限らず世界各地で、悪魔・悪霊の仕業によりくしゃみが起こり、更には くしゃみで魂の抜けた体にそれらが侵入するのだなどと考えられたようです。
それはすなわち健康を害すということで、現実的にもくしゃみは風邪やペストなど死に至る病気の前駆症状でしたから、不吉のしるしとして とても恐れられたのです。
さて、清少納言や吉田兼好の時代には「休息万命」だか「嚏(くさめ)」だとか唱えられていたらしい「くしゃみ」の呪文ですが、江戸時代の人々は違う呪文を使っていました。この時代、「くしゃみ」をすると 上流階級では「徳万歳」、庶民は「くそくらへ」と唱えていたようです。
「徳万歳」は「常若に御万歳」を縮めて訛ったもののようで、「いつまでも若々しく長寿を保ちますように」という意味であり、子供がくしゃみをすると傍らでそう唱えたようです。この風習は明治時代頃まで続いていたそうです。
一方、庶民の唱えた「くそくらへ」はといえば、「休息万命」が「休産命(くさめ)」となり、更に訛って「休息良恵(くそくらえ)」になった、などと説かれます。
けれども、庶民の間では「糞食らえ」だと認識されていたようです。
魔物(病魔)は匂いの強いもの、汚いものを嫌うと信じられていましたから、くしゃみを起こす魔物に向かって「糞を食らえ!」と罵るのは、なかなか理にかなった呪文かもしれません。
この風習は現在日本本土では廃れたことになっていますが、くしゃみの後に、「こんちくしょう!」「おらくそー!」「ばかやろ!」などと汚い罵りの声を続けるオヤジ語は、もしかすると この風習の名残なのかもしれません。
★おまけ★
「一誹二笑三惚四風邪(いちそしり、にわらい、さんほれ、しかぜ)」などの諺もある。
「一回くしゃみしたら、誰かが悪口を言っている。二回やったら、どこかで笑われている。そして、三回したら、おめでとう。誰かがあなたに惚れている。でも四回もしたら、ただの風邪だよ。お大事に・・・」と言う意味で。す
「一に褒められ二に憎まれ三に惚れられ四つ夜風邪のひき始め」とするものもある。
他に「一に褒められ、二に振られ、三に惚れられ、四に風邪」
三回は共通しています。無理してでも三回したほうがいいのか・・・。
したっけ。