都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
年が明けて仕事始め終わったことと思います。私はお正月になると、若い頃に経験した「初荷」の光景を思い出します。
最近では「初荷」の光景もすっかり見なくなってしまいました。
皆さんは「初荷」という習慣を知っていますか?
商家の仕事始め。正月2日に行われる儀礼的な初商いで、江戸時代からはじまった。新調したはっぴや手拭を着用し、卸商人は小売店へ、小売商人は有力な得意先へそれぞれ商品を送り込むのであるが、祝歌を歌ったりしてにぎやかに行われ、祝酒なども用意された。この日、野菜の初出荷をする農家もあった。車には初荷の幟(のぼり)旗が立てられるが、かつて馬を用いていたころには、馬を美しい鞍や綱で飾りたて、華やかな気分を盛りあげた。
断っておきますが、私は馬の時代は知りません。
はつ‐に【初荷】
1 正月の商い初めの商品を、問屋や商店などが、美しく飾った車や馬で取引先に送り出すこと。また、その荷。もと、2日に行われた。《季 新年》「痩馬(やせうま)を飾り立てたる―かな/子規」
2 季節ものの商品の、最初の出荷。また、その荷。
大辞泉
昭和40年代の話です。正月明けの4日には、卸問屋さんでは「初荷」の幟や横断幕をトラックの荷台に掲げて、小売店を回っていました。
中でも、とりわけ派手に行なっていたのは、電気販売店に照明器具や電気工事資材を卸している問屋さん(松下電器)の「初荷」風景です。
年が明けて初荷の日になりますと、営業員全員というか女性も含めて営業所全員が数台の車に分乗し、1台から2台のトラックに荷物を山積にして顧客のお店を順番に回っていきます。
お店に到着したら、普通に年間通じて売れるちょっとした商品を「初荷」として勝手に納品します。(これは後で返本可能でした)
御神酒を頂いて、代表の若手社員が「商売繁盛の口上」を声高らかに申し述べます。そして、営業所全員で拍手(かしわで)を打って終わります。
これを、7日くらいまでの間に全ての販売店を巡回して「初荷」が終わります。
このような商習慣はまだどこかに残っているのでしょうか?
ただ「初荷」の習慣の存続はさておきまして、「初荷」の良いところがありました。
基本的に担当営業員が単独でいくのではなく、営業所長以下、所属の営業員が全員で一件の顧客に訪問していましたので、普段は顔を知らない他の担当地域の顧客と顔を合わせる機会でした。
担当地域が変更になった場合でも、「初荷」で顔を会わしているので気持ちが通じやすかった気がします。
昔の商売では正月明けは月半ばまでは、まともな営業はしないで挨拶回りに行くか、挨拶回りに来た人の対応だけで、それが一段落してから本格的な営業活動になるというのんびりしたものでした。
昭和5年1月、名古屋支店で初荷をしたところ、非常に喜ばれた。全国でもやろうと考え、昭和6年1月、全社的行事として挙行した。
全員がハッピ姿で、荷物を満載したトラックに乗り、車体に商品名を書いた幕や小旗を取り付け、幟(のぼり)を立ててにぎやかに行進するのである。道行く人々は驚いた。
販売店に着くと、荷物を下ろして、店先で初荷のあいさつ状を読み上げ、最後に三三七拍子。先々で「縁起商売や」と評判になった。
この初荷は正月恒例の行事として年々盛大に行われ、世間で松下の名物行事と呼ばれるほど話題を呼んだが、交通事情が悪化したため、昭和39年を最後に中止された。
上記には、昭和39年を最後にとありますが、少なくとも昭和40年代半ばまでは行なっていました。北海道だけだったのでしょうか・・・。
したっけ。