都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
どうやら中国から入ってきて、定着したようです。
始皇帝は昭王四十八年(紀元前259年)正月趙国の邯鄲で産まれたので正月に因み名を「政」とした。姓は「趙」。十三才の時荘襄王(子楚)が死に秦王についた。
『史記』「秦始皇本紀」からの引用です。
秦始皇帝者、秦荘襄王子也。
秦始皇帝とは、秦荘襄王の子である。
荘襄王為秦質子於趙。見呂不韋姫、悦而取之。生始皇。
秦荘襄王が趙に於いて秦の質子と為り、呂不韋の姫を見て、悦(よろこ)びてこれを娶(めと)り、始皇帝を生んだ。
以秦昭王四十八年正月生於邯鄲。
秦昭襄王四十八年正月に(趙の)邯鄲に於いて生まれた。
及生、名為政。姓趙氏。年十三歳、荘襄王死。政代立為秦王。
生まれるに及んで、名を政と為し、姓名は趙氏とした。十三歳の年、(父の)秦荘襄王が死に、政が代わって立ち秦王と為った。
し‐こうてい〔‐クワウテイ〕【始皇帝】
[前259~前210]中国、秦の初代皇帝。名は政。前221年、中国を統一して絶対王制を敷いた。郡県制の実施、度量衡・貨幣の統一、焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)による思想統一、万里の長城の修築、阿房宮(あぼうきゅう)・陵墓の造営など事績が多い。しかし、急激な拡大と強圧政治に対する反動のため、死後数年で帝国は崩壊。始皇。
大辞泉
秦の始皇帝の誕生日が1月で「政月(セイグァツ)」と呼ばれており、それが変化して「正月」と書かれるようになったらしいのです。
「正」と「政」の字解です 「政」から「正」に変化したのは、単純に書き方が変化したわけではなく、意味を保ったまま、文字が変化したようです。 「正」の字を分けてみると、「一」と「止」からできています。 「一」は、囲まれた土地を指す「□(くにがまえ)」が「■」になり、「?」になり、「一」と略された字とされています。 下半分の「止」は、「止まる」ではなく「歩」を略した形、すなわち前進を意味しているそうです。 すなわち、「正」というのは「□」が示した土地へ進んで行くこと、つまり「□=土地」を征服することだったのです。 ですから、「正す」には、勝者の論理に従わせるという意味があるのです。 正=一 + 止
一は目標。足が目標線めがけて真っ直ぐ進む→真っ直ぐである→ただしい 政=正 + 攵 「正」は、敗者を勝者の論理により従わせることだということでした。 「攵」は、たたいたり鞭打ったりする意から、ここでは強制する意に使われています。 以上から、「政」は、強制して敗者を従わせる意になります。 「政」は、「政治」という熟語に使われていますが、「政治」とは、敗戦国の国民や支配下にある自国の国民を強制的に従わせることによっておさめることを意味することになります。
「政治」という熟語の意味は、年末の選挙に照らして考えると恐ろしいです。投票した人間が彼らに従わなければならないのです。投票は大事な行為です。
「政」も、もともとは征服するという意味なので、「政月」と「正月」は、同じことを表しているのが判ります。
つまり、初めて中国を統一して皇帝になった人物の「誕生月(「政月」)」が、日本では一年のはじまりの月の名前を「正月」として今日まで受け継がれているのです。
したっけ。