都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
「賽子(さいころ)」といえば、「盤双六(ばんすごろく)」ですが、」平安時代には囲碁と並んで人気のあったものだそうです。今の双六と違い賭博性が高く689年に禁止令が出るほどでした。
ただこれは、今の「双六」とはまったく違います。「バックギャモン」のような物でルールも複雑怪奇なので省略します。
詳しく知りたい方は、「平安のヒットゲーム双六」を見てください。
今の双六は江戸時代に出てきたもので盤双六とは違います。盤双六は、奈良時代に伝わってきたということです。
さい‐ころ【賽子/骰子】
「さい(采)1」に同じ。「―を振る」
大辞泉
「賽子(さいころ)」の「ころ」は接尾語。「ころ」は「子ら(複数形)」に由来。
そもそも「ぞろ目」とは「揃い目」の事で、「さいころの目が揃う」という事に用いられたようです。
古来日本では「ぞろ目」のことを「重~」と 呼び慣わしたそうです。
「重一(でっち じういちの転)」、「重二(じうに)」、「重三(じうさん)」、「重四(じうし)」「重五(でっく じうごの転)」、「重六(ちょうろく)」と呼びました。
しかし、「三」と「四」ばかりは「朱三(しゅさん)」、「朱四(しゅし)」と呼ぶようになります。
これには、次のような話が残っています。
「唐の玄宗皇帝と楊貴妃が双六をなされたとき、皇 帝が重三の目を出したいと思われ、『朕の思い通りになるなら五位に叙そう』と申されてお振りになられると、見事重三の目が出た。一方楊貴妃の番となり重四の目を出したいと思われたとき、『私の思い通りの 目が出たなら共に五位としましょう』と言って振ると、重四の目が出た。こうして共に五位に叙された賽は五位の印『紅袍』をまとう代わりに、目に朱が指されるようになったので、重三・重四を朱三・朱四と呼ぶ ようになったのです。」
平安当時、というより日本の「賽」には三にも四にも朱は指していません。
「賽子(さいころ)」の目はもともと全て黒かったのです(骨董の「さいころ)はみんな黒のはずです)。
1の目だけが赤い「賽子(さいころ)」は日本特有のものです。もともと、1926年に和歌山県のさいころ製造業者が日の丸をモチーフに1の目だけを赤色にして売り出したら、それが大当たりしました。それ以来、1の目が赤い「賽子(さいころ)」が一般的になりました。
また、「一天地六」というように、賽の目は天地の合計が七になります。
時代劇で赤い目の「賽子(さいころ)」が出てきたら、時代考証の誤りです。
また、「ぞろ目」は「同目」と書きますが、そのことを博打用語では、「ため」と言うそうです。「同目(どうめ)」が訛ったようです。
その「ため」は、同じ目という意味であるので、対等・同等という意味として、1960年代のころから不良少年の間で使われ始め、同じ年同士のものを「ため」と呼ぶようになり、そして、その同じ年同士の間の口のきき方を「ため口」と呼ぶようになったそうです。
「不良少年」はちょっと古かったでしょうか
したっけ。