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都月満夫の短編小説集2

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都月満夫の短編小説集

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「草原の対決」【児童】
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「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」

小説・『叫夢 -SCREAM-』

2013-01-31 11:27:58 | 短編小説

都月満夫

 

「ねえ…、この辺で美味しいラーメン屋さん知らない?」

 

 スナックのカウンターで、女はいきなりオレの腕に抱きついてきた。オレは驚いて女の顔を見た。三十過ぎの小柄な女だ。女の柔らかい胸の膨らみが、オレの腕を押している。

 

黒いドレスの女だ。深い襟元から覗く白い谷間が歪んでいる。スタイルは悪くない。

 

「ラーメン屋?ああ…、あるよ。」

 

 看板の時間だったので、オレは女を連れて店を出た。女は相変わらず、腕にぶら下がっている。女の重さが心地よい。

 

いい女だが、それだけに気味が悪い。こんな女とは関わりにならないほうがいい。

 

「この小路を入ったら、右側にある…。」

 

 そう言って、オレは別れようとした。

 

「ねえ…、付き合ってくれないの?」

 

「ああ…。オレは、腹減ってないし…。」

 

「ワタシを置いて帰るの?じゃあ、腹ごなしでもする?協力するわよ。ねっ…。」

 

 女はそう言って、空を指差した。星も見えない空は深海のようだ。水母が逆立ちをして瞬いていた。ルージュで描いたように赤い。

 

 オレは、もう断れなかった。

 

 腹ごなしが終わって、オレたちはラーメン屋のカウンターにいた。小さな店なのでカウンター席しかない。

 

「あらっ、本当に美味しいわね…。」

 

「…、お客さん、ウチは不味いものは出さない主義なんでね。」

 

 カウンターの向こうから、老女がネズミのような目で女を見た。

 

老女はカラスのように黒いワンピースに、白い割烹着を着ている。腰まで伸びた真っ白な髪は、無造作に後ろで束ねられている。

 

「おい…、旨いって言っただろう。」

 

オレは女に囁いてから、老女に尋ねた。

 

「この店は、時々見つからないことがあるんだけど…。酔っているからかな…。」

 

「お客さん、ウチはね、気に入ったスープが出来ないときは、店を開けないのさ。不味いものでお足は頂けないからね。そんな時は見つからないかもしれないね。ちっぽけな店だからさ…。今夜は運がよかったね。」

 

老女は、ヒッヒッヒっと笑った。

 

「あら…、本当に運がよかったのかしら、今夜のアナタは…。」

 

 女はそう言って、オレの股間を握った。

 

「うっ。ああ…、そうだな。」

 

「ねえ、レンゲはないの?」

 

「ウチには、そんなものはないよ。どんぶりを持って、最後の一滴まで飲み干しな…。」

 

 老女はそう言うと、丸椅子に腰掛け、ヒッヒッヒっと、また笑った。機嫌が悪いわけではない。いつもこの調子だ。

 

「こうやって飲むんだよ。」

 

 オレは、どんぶりを両手で持ち、口をつけてスープを啜った。

 

…?啜ったはずのオレが、どんぶりに吸い込まれていく。そんなバカな…。オレは、どんどん吸い込まれていく。

 

熱い、熱いよ。助けてくれ。叫べ、声を出せ。夢だ、これは夢だ。

 

「わああああ!」

 

 

 

 堅いベッドの上で目が覚めた。オレの部屋だ。時計の針は昼の十二時を回っていた。

 

頭の中は、暴れ馬が駆け回るように痛かった。どうやら、昨夜は飲みすぎたようだ。

 

 頭の中が平穏になってきて、オレは女のことを思い出した。昨夜、女を抱いたはずだ。

 

思い出せない。髪の長い女だ。今どき珍しい、真っ黒で漆のような髪だ。長い髪は、黒いマントのようだった。唇は真っ赤に塗られていた。目は大きく、長い睫毛が重たそうだった。記憶は断片的で、まるで福笑いだ。

 

 夢だったのか…。オレは、自信がなくなって考え込んだ。

 

 いや、夢ではない。女からメモを貰った。

 

「腹ごなしをしたくなったら、いつでも電話していいわよ…。」そう言われた気がする。

 

 オレはジャケットのポケットを探った。

 

あった。ポケットティッシュのラベルだ。裏側にアイブローペンシルで、携帯番号が書かれていた。夢ではなかった。

 

 しかし、名前は書かれていない。オレは女に名を告げたのか…。オレは女に何を話したのか…。あの女は何者だったのか…。無駄な思考が雑踏のように交錯する。回転するミラーボールに当たる光のように、記憶が頭蓋骨に乱反射する。とにかく電話してみよう。

 

オレは枕の下から携帯を探り出した。

 

呼び出し音が五回ほど鳴って、女がでた。

 

「オレは、昨夜ラーメンを…。」

 

「あら、また腹ごなしがしたくなった?」

 

眠そうな声がした。

 

「またって…、オレが誰かわかるのか?」

 

「わかるわよ。アナタのことは全部…。」

 

「全部って…、どういうことだ?」

 

「全部は全部よ。」

 

小さな疑問は大きな不安となった。それは黒豹のように、爪を立て背中を駆け上った。

 

「もう一度会えないか?」

 

「なあに…、せっかちねえ…。

 

「そんな意味じゃない。」

 

「いいわ。今から、来ない?」

 

「仕事はどうする。同伴出勤は御免だぜ。」

 

「同伴?ああ…、違うわよ。ワタシ、そういうお仕事じゃないわよ…。」

 

「じゃあ、どういうお仕事だ?」

 

「どういうって…、保険関係かな。」

 

「保険…、生命保険か?色仕掛けで、オレを勧誘したってことか?」

 

「今どき、色仕掛けで保険の勧誘なんて流行らないわよ。ワタシ、面倒臭いのは苦手なの…。来るの?来ないの?」

 

 女が教えてくれたマンションはすぐにわかった。駅南のマンション郡の中でひときわ豪華だった。

 

『アザーワールド』。別世界ってことか?あの世ってことはないだろう。オレのアパートとは比べ物にならない。玄関で、教えられたオートロックの暗証番号のキーを押した。

 

「入ったら、一番西側のエレベーターよ。間違えないで…。間違えたら、この部屋にはたどり着けないわよ。」

 

スピーカーから、気だるい女の声がした。

 

ドアが開いた。中に入ると、廊下は妙に静かで生活感がない。靴音がうるさいほどに、冷たいコンクリートをノックしてまわる。

 

言われたとおり、一番西側のエレベーターに乗り、十三階のボタンを押した。

 

エレベーターの内部は全面ガラス張りで、どっちを向いても自分がいる。どれが本物の自分かわからなくなり、目眩がしてきた。

 

ドアが開いたので、オレは慌ててエレベーターを降りた。…、ボタンを押し間違えた。

 

そこは、大浴場だった。どうやら女湯らしい。白い影がぼんやりと見える。

 

「キーッ!」湯気の向こうで、奇声が上がった。白い影が一斉に立ち上がった。

 

白い影が身をくねらせて、こちらへ向かってくる。湯気の中から現れたのは、女ではなかった。巨大な芋虫だった。今度は、こっちが奇声を上げる番だ。

 

オレはUターンして、今降りたばかりのエレベーターに飛び込んだ。そこにエレベーターはなかった。オレは、意識を十三階に残したまま、真っ暗闇の中へ落ちていった。体がゴムのように伸びた気がした。

 

何かに手が触れた。オレは無意識にそれを掴んだ。暗闇に目が慣れてくると、それが梯子だとわかった。天から地の底まで続いているように見える。旧約聖書の、創世記二十八章十二節で、ヤコブが夢に見た梯子…。天使が上り下りしているという梯子のようだ。

 

助かった。オレは梯子に足をかけ、登ろうと上を見た。忘れていた。巨大な芋虫が、糸を引いて降りてくる。下は底が見えない闇の中だ。上には芋虫の、黒い鎌のような口が目の前に迫っている。

 

オレは天使ではない。もう落ちるしか手段はない。オレは目をつぶり、手を離した。

 

「わああああ!」

 

 

 

気がつくと、オレは見知らぬ場所に立っていた。何処だろう。舗装されていない道。両側には雑草が生えている。空にはカラスの群れ。夕暮れだ。あたりが薄暗い。

 

見渡すと、白い泥壁の家や板壁の家が建っている。空き地も多い。古臭い風景だ。

 

右側のトタン屋根に看板があった。「西島塗装店」の文字が見える。少し歩くと、辻の向こうに「木村商店」があった。食料品、日用雑貨と書いてある。

 

中から、小太りのオバサンが出てきた。

 

「ヒロちゃん、早く帰らないと、人さらいにさらわれるよ。」

 

オバサンは、ヒッヒッヒっと、猫のような顔で笑い、店に戻った。

 

今どき、人さらいはないだろう。しかし、「ヒロちゃん」って誰だ。

 

オレはあらためて自分の姿を見た。白いランニングシャツに半ズボン、ゴムの靴を履いている。オレは子どもの姿になっていた。小学一、二年生のようだ。

 

「ヒロちゃん?」オレの親父か?そうか、親父と間違われたのか。ということは、昭和三十年代ということか…。

 

オレはこの状況に少しずつ慣れてきた。

 

近所に牛屋があったと親父から聞いた。一升瓶を持って牛乳を買いに行った話…。あった、少し先の左側に…。間違いない。

 

…、だとすると、牛屋の北側の空き地は、あの女のマンションが立っている場所だ。オレは、もう一度あたりを見渡した。

 

斜めに延びた火防線があった。その先には消防署があったといっていた。

 

火防線の先に、が赤く燃えていた。

 

夕陽は民家を押し潰すほどに大きい。しかし、空は夕陽をシカトするように、薄暗く沈黙し、灰色の雲が流れている。何かが変だ。

 

オレは気づいた。そこにあったのは、血のように赤い満月だ。夕陽ではない。火防線は南東に延びている。

 

赤い月が、上からニヤニヤ笑っている。

 

にやけた月の顔にいた兎が、水飴のように融けだした。融けた兎は、黒いヨダレとなって地面に滴り落ちた。

 

滴り落ちたヨダレは、一本の糸で吊り上げたように、黒い三角形となった。こちらに向かって来る。人影のようだ。

 

夏だというのに、黒いローブを着ている。

 

両肩から、白い大根のようなものがぶら下がっている。何かを背負っている。黒い影は、滑るように近づいてくる。驚くほど速い。

 

大根のように見えたのは足だ。黒い影は、スネをこちら側に向けて人を背負っている。

 

不気味な影に、オレは目を見張った。黒い影は、オレの存在など完全に無視して通り過ぎようとした。オレは慌てて飛び退いた。

 

擦れ違ったときに、微かに香水の匂いがした。あの女の香水だ。オレは反射的に振り返った。オレが見たのは、仰向けにぶら下がっている、今のオレだった。

 

ドッペルゲンガー…。オレは、もう一人の自分に出遭ってしまった。ドッペルゲンガーに出遭ってしまった人間は、間もなく死ぬ運命にあるという。

 

逆さに背負われている裸のオレは、口をあけ、大きく目を見開いている。

 

「わああああ!」

 

 

 

「…。どうしたのよ?」

 

女の声がした。あの女だ。女はベッドの中で、オレに背を向けている。裸の尻が、オレの腰に当たっている。

 

「オレに遭った…。」

 

「なあに…、寝ぼけているの?」

 

「違う、夢だ。そうだ、夢だよ。」

 

「夢?大丈夫…。この頃変よ。」

 

「この頃…。この頃って何だ。昨夜あったばかりだろう…。」

 

「やっぱり、どうかしている…。もう、三ヶ月じゃない。ふざけているの?」

 

「三ヶ月?ふざけてなんかいないさ。ふざけているのはキミだろう。そうだ、キミの仕事は何だ。保険関係とか言っていたな。」

 

「キミって何よ。裸で一緒にベッドにいる女に、言う言葉?」

 

「ああ、そうだな…。」

 

「言っても信用しないわよ。」

 

「言って見なきゃわかんないだろう。」

 

「ワタシ、人の未来が見えるの。占い師みたいなものよ。いいでしょ、私の仕事なんかどうでも…。面倒くさいのは嫌いなの…。それより…、ねえ。」

 

女は、肌掛けを右腕で撥ね上げた。

 

オレの目の前に絶景が現れた。丸い二つの山の頂上は、そそり立っている。山の谷間の向こうは、ゲレンデのように白い下り坂だ。坂を降りきった辺りに小さな窪みがある。その先には小さな丘が見える。丘の茂みは、朝露に濡れたように、黒く光っている。

 

女はオレの手首を掴み、その手を茂みへと導いて、腰を浮かせた。

 

オレの人指し指が茂みに触れた。そこにいたのは子猫ではなかった。何かヌルリとしたものが這い出して、指に絡みついた。ミミズのようだ。指は茂みの中へ引き込まれた。中でミミズが蠢いている。ミミズの巣窟だ。

 

今度は、手首に絡みついて引き込んだ。次は肘に絡みつき、肩に絡みつき、オレの右腕は、完全に茂みの奥に呑み込まれた。

 

驚いている間もなく、今度は白いマフラーを巻いた、腕ほどの太さの赤いミミズが這い出した。そいつは蛇が鎌首をもたげるように一瞬オレを見た。ミミズに眼はない。そんな冷静な分析をしている場合か…。オレは混乱していた。そいつがオレの首に巻きついた。

 

「わああああ!」

 

 

 

オレは細い管の中にいた。肉色の壁に窮屈に挟まっていた。頭を反らせると、管の先に白い明かりが見えた。オレは身体を動かしてみた。管は弾力があり身体は動かせる。オレは四つん這いになり、明かりの方に進んだ。

 

管の先は洞窟だった。息が止まるほどのすえた臭いが鼻を突き刺し、涙が出た。そこには何千、何万もの赤い蝋燭が灯っていた。

 

黒いローブを着た女が見えた。あの女だ。

 

「来たのね。このセンスの悪い制服と臭いは我慢してね。ワタシ、今、仕事中なの…。」

 

「仕事中?」

 

「ここは人の寿命の間燃え続ける、命の蝋燭の洞窟なのよ。蝋燭の一本一本が、その人の残りの寿命なの。ほら、名前が書いてあるでしょう。生まれたばかりの赤ん坊は長く、死ぬ間際の人間は、こんなに短いわ…。」

 

「まさか、お前は…。」

 

「そうよ…。そんなにドキドキすると、早く消えるわよ。アナタの蝋燭は、アナタの心臓の鼓動と同じ速さで燃えているの…。アナタにはもう時間がないわ。ワタシの仲間は、西洋では『グリム・リーパー(収穫者)』と呼ばれているわ。神に仕える農夫とも…。命の刈取り人ってことかしら…。」

 

「お前は、死神なのか…。」

 

「そうとも言うわね。」

 

「死神が、オレに何をした?」

 

「何もしないわ。保険を掛けさせてもらっただけよ。でも、悪いから、アナタにチャンスをあげるわ。自分の蝋燭を見つけ出して、この蝋燭を継ぎ足せば、寿命は延びるわ。」

 

そう言って、女は赤い蝋燭を差し出した。

 

「保険屋って、そういうことだったのか。」

 

「そんなことを詮索するより、早く自分の蝋燭を探したほうがいいわよ。アナタには、もう時間がないって言ったでしょう。」

 

「わああああ!」

 

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倉内佐知子

「涅槃歌 朗読する島 今、野生の心臓に 他16篇(22世紀アート) 倉内 佐知子 22世紀アート」

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