都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
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鼠、牛、豹、兎、龍、蛇、馬、羊、猿、鶏、犬、猪 | |
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「絵馬] の起源は 「生きた馬」 でした。奈良時代の『続日本記(しょくにほんぎ)』(797年完成)には「神の乗り物として生きた馬を奉納していた」、と記されており、神社に馬(神馬=しんめ/じんめ)を奉納する習慣が奈良時代ごろから生れたようです。
昔、馬は神様の乗り物として考えられており神様を迎える為に欠かせないものでした。
初期には皇室、武将らが「国家安寧」や「武運長久」を祈願して、「馬」を献納していました。
また、地主や有力者が神社に貴重な馬を奉納して、神馬として神事に利用されていました。
馬は高価であるうえ、頭数が増えるに従って社寺側ではその世話が大変で、やがて、より実用的な貨幣や米、野菜類、絹布類が献上されるようになり「土馬」、「木馬」、「銅馬」が添えられるようになりました。
平安時代にはさらに簡素化されて、「板に描いた馬」を一緒に添えるようになりました。
時の有力者が奉納する絵馬は今現在のものに比べて大きく豪華絢爛なものでありました。
これが現在の絵馬起源であるといあわれています。
つまり、神社にとって「生きた馬はありがた迷惑」だったということになります。贈る側と送られる側の利害が一致した結果、絵馬が生まれたともいえます。
また、一説には京都の「貴船神社」では、平安時代、日照りの時には黒毛の馬を、長雨が続く時には白馬、もしくは赤毛の馬を奉納することで「天候祈願」をした記録があります。
後に、実際の馬に代わって、木の板に描いた馬が奉納されたことがあり、絵馬の由来となったともいわれています。
「貴船」の由来は、樹木を育成する神の木生根(きぶね)(木生嶺)の神だそうです。
本宮は「高おかみ※神」、奥宮は「闇おかみ※神(くらおかみのかみ)」が祀られているとも伝えられています。
高おかみの神の「おかみ」という漢字は、雨かんむりに口を三つ、その下に龍と書きます
龗
古来、雨乞の社として名高い当社には、畏くも歴代天皇様より日照りには黒馬、長雨には白馬又は赤馬をその都度献げて御祈願される例になっていました。
しかし、度重なる御祈願のため、時には生き馬に換えて馬形の板に色をつけた「板立馬」を奉納したと平安時代の文献である『類聚符宣抄』は伝えています。この「板立馬」こそは今日の絵馬の原形と言われています。
貴船神社HPより
『類聚符宣抄(るいじょうふせんしょう)』
737年(天平9)より1093年(寛治7)の 間の太政官符,宣旨などの公的な文書700通余りを類別し,編集した法令集。《左丞抄》 とも称する。11世紀末ないし12世紀初頭の編纂と推定
時代 |
絵馬の変遷 |
奈良時代 |
生きた馬を奉納(皇室、武将、地主、有力者) |
平安時代 |
貨幣や米、野菜類、絹布類に添えて板に描いた馬の絵で代えられるようになった |
室町時代 |
馬だけでなく様々な絵が描かれるようになった 稲荷神社では狐の絵 三十六歌仙の肖像や武者絵、祈願の対象である文殊菩薩を描いた例など |
安土桃山時代 |
狩野派や長谷川派・海北派など著名な絵師による本格的な絵馬が人気 絵馬堂は今日の美術館のような役割を果たした |
江戸時代 |
家内安全や商売繁盛などの願いをする風習が庶民に広まり、絵馬も小さな物になった |
明治時代以降 |
「伊勢神宮参拝記念」「戦勝祈念」(明治時代~敗戦まで)「厄除け祈願」「子供(特に男子)の誕生を記念して」「干支」など様々なバリエーションが生まれた。 |
昭和以降 |
受験生が合格祈願の絵馬を奉納する風習が盛んになった 白蛇など縁起物の動物や、祭りの風景など馬とは関係ない絵馬も多く作られ、寺社の縁起物として、また、お守りとしても人気を博している。 |
このように、本来は馬の絵だったのが時代とともにいろいろな物が描かれるようになったのです。元の形がなくなって言葉だけが「絵馬」として残って、現代に受け継がれてきたようです。
今年は「巳年」ですから「絵巳」でもいいのです。