都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
胡散(うさん)臭い、と言えば誰もが「怪しい様子」と察しがつく事と思います。では胡散とは一体何なのでしょうか。
う‐さん【胡散】
[形動][文][ナリ]《「う(胡)」は唐音》怪しいさま。不審なさま。胡乱(うろん)。 「此国(ここ)では余り見掛けたことがないが、―な奴さ」〈二葉亭訳・奇遇〉[派生] うさんげ[形動]
辞書:大辞泉
「 胡散は香辛料の一種で16世紀のペルシャで広く使われていた。口に入れると軽いトラン ス状態をひきおこす特殊な成分を含んでいたが、当時はこの魅力にとりつかれた人が多く、どんな料理にも必ず胡散が使用されていた。トランス状態を楽しみながら食事をしたのである。一見すると危険にも思えるが、酒に酔う感覚と同じ程度であったらしい。
ところが、胡散を大量に摂取すると深い催眠状態に陥るという厄介な性質が判明すると、胡散を悪用する輩が後を絶たず、17世紀初頭には深刻な社会問題に発展していた。この為に胡散の臭いがする者は即ち悪人と判断されるようになり、胡散は香辛料としての商品価値を失ってしまった。その後は胡散の製造はおろか、原料となる樹木さえ栽培されることなく、現代では種子そのものが無くなってしまった幻の香辛料と言われている。これが「胡散臭い」が怪しい様子と言われる語源である・・・」
・・・などという説があるが、それこそ「 胡散(うさん)臭い」話です。なぜなら、私の調べた範囲では、「胡散」という香辛料が存在していた事実はないのです。
時代についても曖昧だが18世紀中頃の戯作には「うさんくさい」という表現が登場しているそうです。
胡散臭いは、近世以降の言葉で、怪しいさまを意味する「胡散」に接尾語の「臭い」をつけて、形容詞化されたものである。
胡散の語源は、疑わしいことを意味する漢語「胡乱(うろん)」からとする説があります。
茶碗の一種で黒の釉(うわぐすり)をかけた天目茶碗(てんもくぢゃわん)の「烏盞(うさん):釉色(ゆうしょく)の濃いもの」からとする説もあります。
日本では、中国の天目茶碗に似せて作るために鉄分を含んだ釉薬を塗ってつくられた。(つまり、本物ではない。)
その他にも、ポルトガル語で怪しいという意味の「Vsanna(ウサンナ)」からとする説もあるのです。
しかし、使われ始めた時代が合わず、香辛料の名前や薬の名前といった説もあるのですが、そのような名前の香辛料や薬が実在していないため、この二つは俗説と思われます。
また、「胡」を「う」と読むのは「唐音」で、「散」を「さん」と読むのは「漢音」であるため、「胡散」は和製漢語と思われる。
いくつか説をまとめてみると、下記のようになります。
①「胡散」とは中国語で、怪しい様子・疑わしい様子を意味する
②漢語の「胡乱」からの転訛。
③茶碗の一種である烏盞(うさん)から来たからなどいわれているようです。烏盞というのは鉄分を含む釉薬をかけた天目茶碗なのだそうです。(中国製のものは土に鉄分を含んでいるとされる。)
昔は「うさんな人」というような形で用いられていたそうです。
④胡散の「胡」とは中国語でニセモノというような意味で、「散」は薬のこと?
いずれも胡散臭く決定打はありません。
したっけ。
私は、ご飯大好き人間です。日本人ですから。
はるか昔、南方より赤き種が持ち込まれました。サの神様がくれた「赤き米」。そのとき以来、日本人は米を食べて命を繋いできました。
サの神様は、そのタネをまく時期を、ある花によって知らせてくれます。南からやってきた赤き種(サ)が北の大地の座(クラ)に納まった時その証にサクラが、「赤き米」と同じピンク色の花を咲かせるのです。
そのときこそ、タネを蒔く時なのです。
「白き米」に変わりし今も、人は祝いのときに、「赤き米」を再現するのです。食紅や小豆で色付けして古代米を再現するのです。それこそが「赤飯」です。
日本人が、改良に改良を重ねてつくりし「白き米」は、それ自体、美味きことこの上ないと言えるのです。
この「白き米」に、友など要りません。米は米だけで食すことが、最良の頂き方なのです。
ですから、私たちは、サの神様からの授かりものを「いただきます。」と感謝を込めて、「白き米」を食べるのです
。
したっけ。
今の奥様は、遊びに行っていて、ご主人が仕事から帰ってきても家にいない。けしからん、昔は良かった・・・。
なんておっしゃる方がおられますが、どうしてどうして、江戸時代の奥様も、そうそう家にじっとしていたわけではございません。
一般的に言えば、町人の奥様は、お店の手伝い、洗濯や掃除、炊事をしたり、縫い物をしたりと、しっかりと働いておられました。その結果、多額とは言わないまでもそれなりの小遣い銭は持っていたわけで、お寺詣でにかこつけて芝居見物、飲食、買い物などに行かれたのだそうです。
この辺りの事情は、今の奥様達とあまり変わりないのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。え、今はパートで忙しい。御時勢ですから・・・。
事情が変わったのが、明治になり、新政府のお偉方が品行方正な方々だったようで、というよりも所詮、西国の田舎者の集まり、江戸や上方の粋な遊びなんかを知っているはずもなく、とにかく男子たるもの働くべし、女子たるものは家を守るべしというなどと無粋な侍的倫理観をふりかざし、これで落語の世界も随分ひどい目にあって、いわゆる「バレ噺」いわゆる「艶笑落語」ってヤツですが…、随分消えてしまいました。
生真面目なだけが取り柄の人が上に立つと、ろくなことにならないわけでございまして・・・。
「あら、お前さん。早かったね。ねぇ、お前さん。怒ってんの? ねぇってば。なんか言っとくれよ。やだ、ホントに怒ってんだ。でも、怒った顔の方がいいよ。普段、でれっとした顔してるから。一週間ほど怒ってない?」
「バカ言ってんじゃないよ。そんなに怒ってたら、顔がくたびれてしまう。どこ行ってたんだ。」
「芝居。」
「軽いねぇ。亭主が仕事行って、かみさんが芝居かよ。別に行くなと言ってんじゃないよ。ただね、芝居に行ってもいいけど、お前は後がうるさい。やれ、お七さんのご亭主は吉右衛門に似てる。三吉さんは宋十郎に似ている・・・。」
「だって、似てるんだもん。」
「似てるのはいいんだよ。でもよ、三吉が宋十郎、元吉が吉右衛門。ねぇ、ものにはついでというものがあるんだ。浮世にも義理、夫婦の中にも人情ってものはないのかい。何かお忘れ物はございませんかってんだ。」
「いやだ、お前さんを誉めないから怒ってるの。大丈夫、似てますよ。あたしが一緒にいるんだから・・・。」
「バカにすんな、こん畜生。催促してから似てると言われても嬉しかねぇよ。」
「ほーんとに似てるよ。よく似てる。安心しとくれよ。似てるよ、似てますよ。」
「似てる? えへへ、それで・・・、誰に似てる?」
「お前さん、福助に・・・。」
「あの役者の?福助?」
「ちがうよ、今戸焼の方だよ。」
今戸焼は、浅草今戸辺りの瓦焼きの職人が、江戸時代の初期から仕事のかたわら焼き始めた楽焼だそうです。
火鉢や点茶用の土風炉のほか、福助、狐、狸、姉さま、七福神、招き猫など極彩色の人形。特に多く作られたのが福助と狐と姉さまなんだそうです。
「今戸の狐」という噺にも今戸焼の狐が出てきます。姉さまは落ちそうなほっぺたに鼻ぺちゃで、別名お多福。女性の福運のお守りだった。
らく‐やき【楽焼(き)】
1 手捏(てづく)ねで成形し、低火度で焼いた軟質の陶器。天正年間(1573~1592)京都の長次郎が千利休の指導で創始。赤楽・黒楽・白楽などがある。2代常慶が豊臣秀吉から「楽」の字の印を下賜されて楽を家号として以降、楽家正統とその傍流に分かれ、前者を本窯、後者を脇窯という。聚楽(じゅらく)焼き。楽。
2 一般に、素人が趣味などで作る、低火度で焼いた陶器。
辞書:大辞泉
今戸焼について詳しくお知りになりたい方は下記のサイトを御訪問下さい。
「東京の土人形 いまど人形 いまどき人形 つれづれ」
http://imadoki.blog.ocn.ne.jp/blog/
したっけ。
今日は鉢植えの「サンスベリア」の「花」を紹介しましょう。
サンスベリア 別 名千歳蘭(ちとせらん)、トラの尾
リュウゼツラン科サンセベリア属
原 産 地熱帯及び亜熱帯のアフリカ、南アジア
学 名:Sansevieria
多年草10-100cm
花期:6~7月
高温を好む植物で冬は8度以上保ちましょう。
日当たりを好む植物なので直射日光で育ててあげるのが望ましいですが室内照明でも元気に育ちます。 日光に当てる場合は、夏の強い光のもとで、葉焼けを起こすこともありますので注意。
水の管理は、春から秋の生育期は、土が乾けば水を与え、冬は極力水を控えます。冬に土が過湿になると枯れてしまいます。冬の間はほとんど給水の必要はありません。
自宅の「サンスベリア」は毎年花をつけます、花といっても糸くずのようなもので、ゼリー状の汁を出します。これには独特の臭気があります。
リュウゼツラン(竜舌蘭)からつくられるお酒がテキーラです。
したっけ。
はあ、何かって何だよ。その何かによって、対処の仕方が違うってもじゃねーのか
。
何ちゃって・・・。
失敗したら、それは学習したと思って、落胆
なんかしねーほーがいいぜ
。
だけど、「すぐに次の行動に出る」って選択はいかがなものかって感じだなー。失敗したら終わりってことは結構多いしさ。次ってことは同じ目的に向かって異なる行動をとるってことだろ?そんなこと許されるほど世の中甘くねーよ
。
だから、違う目標に切り替えるってことで、こっちだな。
したっけ。
皆さんは「ニポポ」という言葉を聞いたことがありますか?北海道を旅行したことがある方(特に網走方面)なら、きっと聞いたことがあると思います。
ニポポの語源は樺太アイヌの人たちのニィ・ポポ(小さな木の子供)から名付けられました。縦長の木に顔が彫られたもので、全体的に角張った「こけし」のようなものです。
「ニポポ」は樺太アイヌのマスコットでどんな願いもかなえて幸福をもたらしてくれると信じられています。山に狩に行く時や海に漁に出かける時などはニポポに「今日は沢山の獲物を与えてください」とお願いをして出かけ、得てきたものは食べる前に先ずニポポの口に与えて感謝をするのです。特別な願いごとをかなえてくれた時は、玉や刺繍をしたきれいなショールを首に巻いてやるといいます。
北方の地に暮らすアイヌの人たちは木製の人形を作り家の中に飾ったり持ち歩いたりして狩りでの怪我や家族の病気から身を守る“お守り”として大切にしていました。
持ち歩く小さいものは、エニシテ・ニポポといわれるそうです。
この人形の誕生は、昭和29年、朝鮮動乱後、網走刑務所の作業が少なくなって困っていた時、網走郷土博物館長の米村喜男氏の発案で、これを刑務所で製作して市と観光協会が民芸品として売り出す計画を立てました。それをゆだねられた元樺太新聞にいた高山長兵衛氏のデザインで、彫刻家の谷口百馬氏が原型を彫り、その後改良をも加えて製作されるようになったそうです。
材料は寒冷地で育つ槐(エンジュ・マメ科)で材質は硬く脂質に富んでいて、長期間保存すると表面に艶がでてきます。網走刑務所のある<msnctyst w:st="on" addresslist="01:北海道網走市;" address="網走市"> 網走市
槐(えんじゅ)のいわれは、昔、中国の『槐位(かいい)』という位を象徴する銘木といわれ、周の時代の朝廷に三公があって、それぞれの庭の三本の槐の木に面して座った事から三公の位を示す木になったものと言われます。
槐の字のいわれは、昔、お面などを槐の木で彫刻し、家の鬼門に置いた事から、木辺に鬼で、槐(えんじゅ)と書きます。 また、地方によっては、延寿と書いて、長寿や安産のお守りに使われたことがある。難産の時、この木の枝を握らせると、苦しまずに赤ちゃんが産めると言う事です。この事から槐の木は魔除け・長寿・安産・幸せの木として大変喜ばれています。
寒さに耐え成長する槐は、芯は黒く外側が白い木目のとても綺麗で美しく風情のある木で、重厚な色素の沈着が非常に美しく、量も少ない貴重な木です。
自宅の床柱は槐です。北海道ではよく使用されます。
したっけ。
十勝農協連は14日の理事会で「十勝総合畜産共進会」の肉用牛・種馬の部、乳牛の部の両開催中止を決定しました。宮崎県で発生した口蹄疫の終息が見えず、「新入の防止を徹底するため」としています。
同共進会は牛馬の改良進度の確認を目的に、年に度開催される道内最大規模の大会です。
7月の肉用牛・種馬の部に肉用牛、種馬が格8 0頭程度、8月に乳牛300頭ほどの出場を見込んでいました。
また、音更町や幕別町でも家畜品評会などの中止が決定しました。
畜産王国十勝にとっては、大変な打撃だと思います。
10年前、十勝本別町で発生したときには、その牧場に穴を掘って埋めたと思います。宮崎県は、処理を急がず、埋めるための国有地の提供を求めています。早急な処置が求められます。自分の土地に埋めたくて埋めた畜産農家はいませんでした。彼らは涙を飲んで、被害拡散防止を選んだのです。
したっけ。
アイヌ民族にはイナウ(木幣)と呼ばれる木製の祭具があります。
本州以南のいわゆる「削り花」と非常によく似ています。北海道では一般にミズキやヤナギ、キハダなどを用い、病気払いや魔除けにはタラノキ、センなどの刺のある木、エンジュやニワトコなどの臭気のある木も使われました。
イナウの機能としては、
1.神への捧げ物となる。
2.神へ伝言。
3.魔払い、清めを行う。
4.それ自体が神となる。
などいくつかのものに分かれますが、写真のイナウは主に1.2.の機能をもつイナウです。
これらのイナウは、儀式に先だって祭壇や囲炉裏の中などに、1神につき1本から数本を立てます。儀式の間、イナウにお神酒を捧げながら祈り言葉を述べると、イナウを介して祈り言葉が神へ届くと考えられており、儀式が終わるとその神への捧げ物となります。イナウは神が最も喜ぶ捧げ物ですが、神自らは作れないことになっていて、神は人間からイナウをたくさんもらうことで神の国で地位を高めるものと考えられていました。
また、鮭の頭を叩いて絶命させる棒であるイサパキクニ、サパウンペ(幣冠)などもイナウの一種です。
■上記のイナウについては、下記ホームページからの転用です。
<msnctyst w:st="on" address="北海道白老郡白老町若草町2丁目3番4号" addresslist="01:北海道白老郡白老町若草町2丁目3番4号;">
北海道白老郡白老町若草町2丁目3番4号
</msnctyst> 財団法人アイヌ民族博物館http://www.ainu-museum.or.jp/(注)イナウ(木幣):アイヌ民族は文字を持たないため、漢字は当て字です。
北海道の有名な観光地の「阿寒湖」の湖畔の「アイヌコタン(アイヌ集落)」はよく知られていて、いろいろのアイヌ手芸品の店もあります。
ここに「木幣(イナウ)」と呼ばれるアイヌの伝統的な神祭用具と同じ手法で作られる「イナウ人形」があります。
イナウはヤナギ・ミズキ・ハシドイなどの樹皮を剥ぎ、白木を薄く削って作られます。
病気の回復や猟の安全と収穫の祈願、風水害にあったときなど、イナウを作って神に捧げました。本来は魔神を追放するものでしたが、それが「神の心をなごませるもの」として使われるようになったといいます。
このイナウの手法を生かしてつくられた人形類ですが、男女のアイヌ人像や弓矢を持ち狩りをするアイヌ人など、いろいろと作られています。
したっけ。