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 年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

JR関内駅付近地下道 の異臭

2021年08月04日 | 宅老のグチ
JR関内駅で降りて伊勢佐木町の有隣堂に向かうとき、地下道を通った。JRの関内駅の改札口に警察官がいたので何事かと思っていたら、オリンピックの野球を近所(横浜スタジアム?)で行っていたからだろう?地下道は涼しく、かつ臭かった。見るとダンボ-ルハウスか10位あって、数人が横たわっていた。昼なので不安はないが夜間はここを通過する女性は少ないと感じる。

 昔といえば1964東京オリンピック前は浮浪者のバラックの家を壊していた。今のJR御茶ノ水駅は神田川の対岸の斜面に構造物があって、生活しているのが電車待ちの通勤通学客から見えていた。オリンピック前に撤去され、その後景気が拡大していたせいか今は痕跡もない花の咲く斜面となった。

 明治期からあった下層社会の遺跡は景気拡大期に安価な土地に進出した人たちで過去の記憶を消していった。彼らの収容する一時施設は作れないのであろうか。築地で働いていた時、竹ほうきを持った集団が昼頃新大橋通りを掃除していた。場内は掃除専門の業者だが道路は日雇いの人たちだった。

 時たま水産仲卸の売り場を夕方通るとここは戦後の何もない時代の風景が今風になっていたと感じた。もうあの風景は映像でしか見れない。まだ3年しかたっていないがコロナで20年前の記憶のように感じる。
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