「地獄の沙汰も金次第」の意味は「世の中のことはすべてお金で解決できる」
「地獄の沙汰も金次第(じごくのさたもかねしだい)」とは、地獄に堕ちて受ける閻魔(えんま)様の裁きでさえ、金しだいであるという意から、世の中のことはすべてお金で解決できる、あるいは、どんなことでも金さえあればどうにでもなる、という意味です。
生き地獄という言葉があります。江戸時代は牢獄の事を意味していた。蕃社の獄の始まりで、茨城の無量寿寺の住職が過酷な取り調べで獄死しています。そこで少しでもましな生活をするため差し入れがありました。牢役人も生活があるので手心を加えていきます。そこで地獄(牢獄)の世界も金次第という言葉に繋がります。流人の世界も厳しく、差し入れがある流人は優遇されていたようです。
明治の初めに新島での流人生活18年を終え、宮野信四郎は赦免となりました。このことは誰から継続的に新島に差し入れがないと生き残ることは困難と思われます。記録はないが高野長英の逃亡を支援し、宮野に罪を負わせた内田弥太郎は明治15年まで生きていました。この記録がないのは放火による逃亡は許されないという思いだと思われます。