故郷はなぜ兵士を殺したか 一ノ瀬 俊也著
普通の市民が戦争となれば人を殺す。ひとり殺せば百人殺しことも容易となる。さらに千人殺せば英雄となる。さらに殺せば歴史の残る人物となる。
8月15日 先の戦争で多くの理不尽な死があった。うまく逃れた人も食料・医薬不足の中で運よく生き残ったに過ぎない。先の戦争は日本国民の多くが兵士として参加したのだが本当に国民全員が参加させられたのが昭和の時代だった。日本本土にいた女性でも、なぎなた・竹やり訓練をしていた。
今は位置情報がしっかりしていて、戦地でない所で戦争を指揮できる。人が乗っていない飛行機で攻撃できる。モニタ-越しから見ている映像で攻撃し、テレビゲームのような心の痛みの少ない攻撃となる。
平和を願っている人ほど平和が危機になると自衛と称して狂暴になる。特に報道は危険だ。彼らは戦争反対を唱えていても、いざ政府がやむにやまれぬ戦いだと唱えたときから、新聞の発行部数の減少を恐れ、戦争の賛成に回る。
先の戦争前に大学に軍事教練のための陸軍軍人が派遣された。中国の戦いで兵士が不足し、徴兵猶予の特権があった大学卒業資格に軍事教練終了があった。軍事教官の派遣を拒んだ大学は受験者の減少を招き経営危機となった。今でも日本の大学は学問を学ぶところでなく、卒業資格を得るところであった。同志社大学はこれに負けたようだ。昭和18年夏の新聞記事を見ていたら、神田駿河台にあった文化学院がこのことで問題になっていた。生きていないと理念は保てない。かといって生きることは他の命を奪って生きることもある。動物性ということで多くはこの矛盾を追求しない。そして年寄りは生きている。若者はまだ矛盾が少ないだけで、生きれば生きるほど多くの矛盾を起こし、生き残る。
叔父の特攻の意味付けはまだ適当な考えが出ない。読んでいた本でもそれぞれの考えの細かい部分がはっきりしない。つまり慰霊とは自己に対する戦争解釈であっていくら戦争反対と言っていても、攻撃や恐喝に常に屈服することは出来ない。日本的な話せばわかる時期は終わり、デジタルのオン・オフしかない時期に来たようだ。