令和3年8月23日に母の介護生活が一区切りつく。介護認定になって10年以上、デイサ-ビスに通い、入浴させてもらうのが6年以上たった。最近の3年ほどは要介護2~3の間の認定で、介護する方も同時に老齢化し負担が増していった。家の出入りで階段があって二人かかりで母を支えていた。(今から思うと母の無断外出を阻止していたのが階段だった。)この間に介護施設に入所すべく認定してもらったが母が認定確認時に正常近くになって、要介護3にはならなかった。しかし年々衰えてゆくので今年の春先の介護判定では要介護3となった。昨年秋にも3になっていたので、今の特別養護ホ―ムはどのような待機状態か聞くと、数百番台だという。
これでは今年も無理だなと話していたら、特養の施設から連絡があって、入所できるという。このことをデイサ-ビスの人から百歳になると入所のポイント点数が上がるので入りやすいと聞いていたので事実と実感した。すでに母はコロナワクチンを2回接種しているので先方に迷惑が掛からないと思う。その施設は比較的多くの人が住んでいて情報ではすでに2回ほどコロナクラスタ-が発生して施設に入る希望の人が減って急遽待機の順番が回ってきたようだ。
何か他の人の退去か死去で空いたと思うと介護の終わりの気持ちが複雑となる。いずれ人は亡くなる。ただ10年以上の介護は家庭介護人の人生を制限する。ましてや中学高校生の若年介護は人生の華やかな時期を失わせる。
ネットで調べると東京の最難関の特別養護老人ホームの施設入所は1500人待ちという。高額の有料施設に入れない人は家族の人生を制限する。それにしても優遇される百歳まで生きさせることは大変だ。
今では時々子供の顔を忘れることもあって、デイサ-ビスに行きたくないと幼児のように朝に騒ぐ。そして夕方になるとにっこりして家に戻る。施設に入っても当分慣れるかどうかが不安が残る。介護の出戻りは一番つらい。触れるのも今日明日と思うと寂しさが募る。