透明タペストリー

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口の開閉か、角の有無か

2025-02-13 | C 狛犬

■ 左右対称を好まない日本人の心性。左右対称形で伝わった寺院の伽藍配置をいつの間にか左右非対称に変えてしまった。長安の都市計画も左右対称だったが、それを手本にした平安京の左右対称の構成も次第にくずしてしまった。




日本最古の本格寺院といわれる飛鳥寺の伽藍配置(①)と法隆寺西院の伽藍配置(②)
「日本名建築写真選集4 法隆寺」新潮社より

やはり、日本人は左右非対称を好むようだ。日本人は月も元々満月ではなく、すこし歪な十三夜を愛でていたという。

狛犬も中国から伝わったが(仏教とともに伝わったということだから、6世紀中ごろ、飛鳥時代)、両方とも同じ姿の獅子だったということだ。その後の経緯をよく知らないが、左右違う姿になり、獅子と狛犬と別々の名前になった。左右対称、左右同じを好まない日本人の心性だろう、シンメトリーの中国からアンシンメトリーの日本へ、狛犬の姿かたちも変化した・・・。

先日読んだ『狛犬学事始』に、下のような一次元的な表が載っていた。宇治市内の22対(44体)の狛犬(獅子と狛犬をまとめて狛犬と呼ぶ)を調査して、頭の角の有無にによって獅子と狛犬に分類した表だ。

①阿・吽が、狛犬・狛犬 1例
②阿・吽が、狛犬・獅子 0例
③阿・吽が、獅子・狛犬  10例 
④阿・吽が、獅子・獅子  11例

上の表を下のように2次元的なマトリックス表にしてみた。断るまでもないが、表で口開は阿、吽は口閉は吽。


口の開閉と角の有無を縦軸と横軸にしてできる4マスに44体を振り分けた。狛犬の設置位置の左右も入れると3次元になるので、省略した。これには2体の位置関係という相対的な特徴より、個体そのものの特徴で判断しようという意図もある。

このマトリックス表で、口開で角無の獅子は右上のピンク、口閉で角有の狛犬は左下のピンクのマスに入る。これは獅子・狛犬を分ける一般的な視点による分類。

角が無けれ縦2マスに入る。口の開閉を考慮しなければ44体のうち32体が獅子で、角有は狛犬で左側の縦2マスで12体。一方、口を開いていれば獅子と判断する場合は、水色の横2マスに入る。結果、44体のちょうど半分の22体が獅子で残り22体が狛犬。

さて、この結果をどう判断するか・・・。

先に、左右対称の長安をモデルにした平安京の都市計画が次第に左右非対称、アンシンメトリーに変化していったこと、寺院の伽藍配置も同様であったこと、更に月を愛でるのも中国は満月、日本は元々、歪んだ十三夜だったことを述べた。

左右対称を好まない日本人の心性は獅子・狛犬にも反映されていると考えたい。心性は個々人のものではなく、日本人の総体としてのものだから、時代とともに変わるというようなことはないだろう。

そうであれば、どの時代においても、狛犬は2体同じではなく、特徴を変えて、違う動物に造形されていると考えるのが妥当ではないだろうか。このことから、獅子・狛犬はほぼ同数になると推測される。

ほぼ同数になるような視点をこの結果から逆に探す、ということもできるのではないか。表③から、獅子か狛犬かを見極める、そのような視点は口の開閉ということになる。


茅野市宮川 酒室神社 2023.06.04
開口角有、向かって右側設置の「獅子」

補足として、前稿から次のくだりを引きたい(少し加筆した)。**参道狛犬の多くは石造だ。石造では角は折れやすい。制作時、あるいは運搬時、施工時と折れてしまう可能性はどのフェーズでもある。角が折れてしまった狛犬を発注者が受け取らないケースが結構あったのではないか。瑕疵だと指摘されれば、つくり直さざるを得ないのでは。それで、石工は角をつくらないことも少なくなかった、とは考えられないだろうか。** 
また、狛犬(獅子・狛犬一対、の狛犬)は想像上の動物であるため、姿かたちはきちんと定まらない。従って、角が必須ということでもなかったのではないか。狛犬の姿かたちが多様なのも、このことに由るだろう。

以上のことから、ぼくは、獅子か狛犬か判断する場合、角の有無ではなく、口の開閉に依拠したい。


※ 最後の一文の通り、本稿は自分自身の判断根拠を自省するために書いたものであることをお断りします。マニアな世界は基本的に、独りの世界であり、自分は自分、人は人というスタンスを可としてもいますので。


「狛犬学事始」を読む(改稿)

2025-02-13 | A 読書日記


『狛犬学事始』ねずてつや(ナカニシヤ出版)

広く浅く総論 狭く深く各論 
狛犬学事始』という書名から、ぼくは狛犬(獅子・狛犬2体まとめた呼称 以下同じ)の世界の入門書として、その世界を総論的に説いた本だろうと思って、内容を確認することなくネットで買い求めた。本書の奥付に1994年1月20日 初版第1刷発行、2012年6月10日 初版第7刷発行と記されていることから、よく読まれていることが分かる。

本書で扱われているのは主として宇治市の狛犬を中心に京都府南部の狛犬だった。エリアを限定して詳細に調べたものを全国的に統合することで、全体像を明らかにしようとする大きな構想があって、その事始ということと解するのがよさそうだ。著者、ねずさんは『京都狛犬巡り』『大阪狛犬の謎』という本も出しておられる(本書の帯による)。

本を読んでいて、「なるほど!」と思うことがよくある。書かれている内容について、知らなかったときや納得した時など。本書を読んでいて、なぜ、どうして? と思うことが何回かあった。やはり、マニアックな世界は他人(ひと)の理解の及ばないところにあるのだ。

研究対象は参道狛犬 
**「神社等の参道をはさみ、その両側に設置された一対の狛犬」を研究対象とする。**(10頁) 「え、どうして?」
研究対象を参道狛犬に限定し、神殿狛犬を取り上げないのは、なぜ? 

狛犬は仏教とともに仏の守護獣として大陸から日本に伝わったというから6世紀中ごろ、飛鳥時代のことだ。この頃は獅子一対、左右同じ姿だったようだ。それが獅子・狛犬という日本独自の組合せになっていくのは平安時代だという。獅子・狛犬のことは清少納言も『枕草子』に書いている。だが、紫式部は『源氏物語』に獅子・狛犬のことは書いていない。ぼくが読んだ現代語訳の記憶(もうかなり薄れてきているが)をトレースしても狛犬は登場してこない。

冗長になった。はじめ神社の狛犬は神殿内に置かれていた。それが時代が下るに従って、神殿の縁に置かれ、やがて神殿から完全に屋外に出て、参道に設置されるようになる。神殿狛犬から参道狛犬へ。

ねずさんは、なぜ、このプロセスの前半の狛犬を取り上げなかったのだろう・・・。先に書いたことを繰り返すが、マニアな世界は他人(ひと)の理解を越えたところにあるから、これは愚問とするしかない。

ねずさんは、神殿狛犬を研究対象としない理由を次のように書いている。**神殿の奥深くに眠っており、我々が簡単に接することができないのもその理由の一つだが、それ以上に「民衆の願い」を感じさせないのである。支配者か、それに近い人物の財力により、腕の立つ名人上手に造らせたものというイメージが強すぎるのである。**(17頁)

確かに神殿狛犬は簡単に接することはできない。近くで観察することもできない。ましてや寸法を測るなどということは到底無理。研究対象から外す一つの理由だと、ねずさん。なるほど。

   
上の写真は、社殿の中をそっと覗いて、狛犬にズームインして撮った。これはマナー違反だろう。

角の有無 狛犬に角あり、獅子に角なし 
ねずさんは狛犬の角の有無について、**話を原点の戻し、単純化することにする。狛犬と獅子との違いを検討するから例外が出てくるのだ。**(102頁)ということで、**頭に角があるものを狛犬と言い、角がないものを獅子と言う(狭義)。**(103頁)としている。2体どちらにも角がなければ両方とも獅子ということだ。「でも、どうして?」


茅野市宮川の酒室神社 2023.06.04

角がどちらにも無くても、社殿に向かって右側に配置され、口を開けている阿形が獅子で、左側に配置され、閉じている吽形が狛犬だと一般的には言われている。でも、図③のように、そうでない場合があって、あれこれ考えるのが楽しいのに・・・。

図③の狛犬は向かって右側に設置され、阿形なのに、角がある。これを角があるから狛犬、とぼくは割り切れない。まあ、趣味の世界だから、人は人、自分は自分と割り切らなくてはいけないのだろう。人の世界をのぞき見て、自分との違いから、自省することはもちろん可。

角の有無だけで獅子か、狛犬かを判断するのなら、②は両方とも獅子なのだろうか。参道狛犬が対象であって、②のような神殿狛犬は対象外だから関係ないということなのだろうか? 

平安時代末期の成立と考えられている『類聚雑要抄』という書物がある。


国立国会図書館デジタルコレクションより

獅子・狛犬が図解され、簡潔に特徴が記されている。

左側(神殿に向かって右)獅子 色が黄色で口を開いている
右側(神殿に向かって左)狛犬 色が白く、口を閉じている 
図中には角について記されていない。


『諸職画鑑』北尾政美(鍬形蕙斎)1794年(寛政6年) 
 国立国会図書館デジタルコレクションより

江戸時代、寛政6年に刊行された『諸職画鑑』には③とは逆で、右の獅子に角があり、左の狛犬に角はない(代わりに宝珠がある)。このように判断するのは、獅子は向かって右で阿形、狛犬は左で吽形だということを前提にしているから。で、④の図では右の獅子に角あり、左の狛犬に角なし、となる。

角なしが獅子、角ありが狛犬と判断すると、右が狛犬、左が獅子で、阿形、吽形で判断するのとは逆になる。

ぼくは『類聚雑要抄』の獅子と狛犬の特徴の記述に注目したい。角の有無より、口の開閉で判断するのが妥当ではないか、と思う。

右か左かは混乱しやすい。社殿を背にして見るか、社殿に向かってみるかで左右逆になるので。だから、右か左かは必ず(社殿に)向かってというように注記する必要がある。本来は『類聚雑要抄』の図のように社殿から見た左右。 

参道狛犬の多くは石造だ。石造では角は折れやすい。制作時、あるいは運搬時、施工時と折れてしまう可能性はどのフェーズでもある。角が折れてしまった狛犬を発注者が受け取らないケースが結構あったのではないか。瑕疵だと指摘されれば、つくり直さざるをえないのでは。それで、石工は角をつくらなくなった、とは考えられないだろうか。だから、角の有無を獅子か狛犬かの判断根拠にするのは妥当ではないのではないか、とぼくは思う。このことについて、稿を改めて書きたい。

繰り返すが、右が獅子、いや獅子は左じゃないか、とあれこれ考えるのが楽しいのだ。

角の長さの計測 
ねずさんは狛犬の角の長さを測るという。『狛犬学事始』にそのベスト5を載せている。そう、この辺りがマニアなところ。ぼくは角の長さを測ろうとは思わない。そこまで関心が向かない。第一、台座に登らないと角の長さが測れない場合が少なくない。これをするのは躊躇われる。脚立を持参されているのかも? さげ振りも持参されているとのことだから調査が本格的だ。他にも狛犬の全長とともに台座の寸法を測ったり、と、なんともマニアな調査。まず、お参りして、狛犬をあちこち観察して写真を撮って、ハイおしまいのぼくとは大違い。反省。

歯の観察から食生活を知る 
もっとマニアックなのは狛犬の歯を観察して、その形などから食生活を調べていること。これは凄いとしか言いようがない。他にもいるんだろうか。

本書を読んで、さぼっていた狛犬めぐりを再開しようと思った。本書に詳述されていた尻尾をぼくもこれからはもっときちんと観察しよう。