■ 昨日(21日)日帰りで横浜、東京へ出かけてきた。目的は神奈川近代文学館で夏目漱石没後100年ということで開かれている特別展「100年目に出会う 夏目漱石」を観ることと、上野の東京都美術館で開かれている特別展「生誕300年記念 若冲」を鑑賞することだったのだが・・・。
いつも通り松本6時51分発のスーパーあずさで新宿に向かう。中央東線は山梨市駅あたりから甲府盆地の東側の縁をなぞるように通っていて、塩山駅あたりから勝沼ぶどう郷駅(平成5年に勝沼駅から改称されたそうだ、知らなかった)過ぎまで急なのぼり坂になる。この間、車窓から見える甲府盆地の俯瞰景は美しい。いつも上りのあずさでは進行方向右側の席に座ることにしているが、理由はこの風景を見るため。
新宿駅から湘南新宿ラインで横浜に向かう。横浜駅で根岸線に乗り換えて石川町駅で下車。徒歩で神奈川近代文学館へ。途中洋館が残る山手町を通る。
神奈川近代文学館はこの大佛次郎記念館の裏手にある。
最終日(会期は5月22日まで)前日ということもあってか、会場はかなりの人で混んでいた。
数多くの資料で振り返る漱石の生涯。展示されていたのは小説の原稿や漱石が友人や奥さんに宛てた手紙や多数の写真、漱石の書画、子規が赤字で添削した漱石の俳句、漱石が着た和服等々。
友人が漱石に宛てて描いた猫のイラスト付きはがきや漱石の死を悼む読者からのはがきなども展示されていた。会場入口には漱石最後の家「漱石山房」の書斎が美しく再現されていた。
今読んでいる『道草』は長年漱石の心の負担となっていた養父との問題をモチーフとして書かれている。4歳で塩原昌之助・やす夫妻の養子に出されるも、夫婦が離婚したために籍を残したまま、9歳の時に生家に帰ったという漱石。その後塩原は夏目家というか、漱石に金銭的援助を求め続けた。この復籍に関する書類を紐解く場面が『草枕』に出てくるが、その書類も展示されていた。
**「世の中に片付くなんてものは殆んどありゃしない。一遍起った事は何時までも続くのさ。ただ、色々な形に変るから他(ひと)にも自分にも解らなくなるだけの事さ」**(268頁)『道草』のラストで主人公の健三(漱石自身)は奥さんに向かって吐き出す様に言う。
漱石の心の奥底には暗い闇が広がっていたようだ。仲間と楽しく語っているときでも、ふと「孤独」が漱石の心を占める。あの「猫」にさえ孤独が見え隠れしているという。そうなのか・・・。
充実した展示で会場を回るのに2時間以上かかった。
さて、次は上野。東京都美術館の若冲の予定だったが、ライブなネット情報によると、「若冲」展はなんと3時間待ち! 残念だけどそんなに長時間待つならパス、ということで、予定を変更して六本木のサントリー美術館で開催中の広重展に行くことにした。