「若紫 運命の出会い、運命の密会」
■ 光源氏18歳。病気がなかなか治らず加持祈祷を受けるために北山に赴いた光源氏。そこで可憐な少女を垣間見る。継母・藤壺の姪に当たる子で実母亡き後、祖母に育てられていた。藤壺によく似たその少女(若柴)に心奪われた光源氏、性急にも若紫を引き取りたいと思う。
高校3年生くらいの男の子が小学4年生くらいの少女に恋したなどと現代に置き換えて捉えると、源氏ってロリコン? なんて思ってしまうが、平安時代は今とは年齢の感覚が違うし、歳の差婚なんて当たり前だったということも考え併せれば、そうではないのだろう。プラス10歳くらいだと考えればしっくりくる。
**ねは見ねどあはれとぞ思ふ武蔵野の露分けわぶる草のゆかりを**
若紫(紫の上)に心奪われる一方、藤壺と密通する光源氏。やがて藤壺は懐妊。祖母を亡くした若柴を父親は自邸に引き取ることにした。が、光源氏は父親に先んじて若紫を二条院に連れ帰ってしまう。
この内容、「源氏物語」ってすごい小説だ。
1桐壺 2帚木 3空蝉 4夕顔 5若紫 6末摘花 7紅葉賀 8花宴 9葵 10賢木
11花散里 12須磨 13明石 14澪標 15蓬生 16関屋 17絵合 18松風 19薄雲 20朝顔
21少女 22玉鬘 23初音 24胡蝶 25蛍 26常夏 27篝火 28野分 29行幸 30藤袴
31真木柱 32梅枝 33藤裏葉 34若菜上 35若菜下 36柏木 37横笛 38鈴虫 39夕霧 40御法
41幻 42匂宮 43紅梅 44竹河 45橋姫 46椎本 47総角 48早蕨 49宿木 50東屋
51浮舟 52蜻蛉 53手習 54夢浮橋
父為時の赴任に伴って、19歳の頃に越前に行き、1年ばかりで都に戻った後、22歳位のときだとか。
右衛門の権藤原宣孝は、成人した息子もいたという、48歳位の人物。
結婚の背景にはたぶんいろいろあったのでしょうけど・・・・。
この推定年齢で考えると26歳前後の年齢差があります。
10歳位の年齢差は意識するほどのことでもない時代感覚だったのかも・・・・と思えますね。
紫式部が仕えることになったのは藤原彰子です。藤原道長が娘の彰子を一条天皇に入内させますが、この時、一条天皇は20歳、彰子は12歳だったとか。年齢差は8歳。
清少納言が使えた中宮定子はこのとき23歳だったそうですが。
詳細なご教示、ありがとうございました。