■ 昨年、2022年は『源氏物語』を読んだ年、と記憶しておきたい。「読まずに死ねるか本」をようやく読むことができた年だった。全54帖から成る長編小説を読み終えて、次のような感想をこのブログに書いた(2022.10.02 一部改稿)。
**紫式部は源氏物語を書くために生き、生きるために書いたのだ。1,000年以上も読み継がれるような小説を残し得たことは、作者の才能によるところが大きいことは言うまでもないだろうが、執筆環境にも恵まれていたのだろう。
紫式部が『源氏物語』で書きたかったこと、それは人は孤独だということだ。紫式部は華やかな貴族社会に身を置きながらも孤独というか、人は結局ひとりなのだと常に感じていたのではないか。このような感慨が反映されている。**
紫式部が『源氏物語』で書きたかったことは「人は孤独だ」ということ、という感想は、ちょっとピント外れかな、と今は思う。紫式部は親子ほども歳の差のある男性と結婚し、女の子を授かった。だが、結婚数年後に夫と死別する。幼少の時、母親を亡くしてもいる。確かに孤独を感じてもいただろう。
紫式部は『源氏物語』の光源氏という我が子の成長を楽しみに日々暮らしていたのだ。彼女は理性的で聡明な女性。貴族社会に身を置きながらもそのドロドロとした社会を受け入れがたく感じていただろう。そんな彼女にとって我が子・光源氏は生きる糧だった。時に愚行を嘆きながらも常に彼に母性愛を注いでいた。
「雲隠」について次のように書いている(2022.08.19 一部改稿)。
**紫式部は何年も光君を主人公に、物語を書き続けてきた。その光君の最期を書くに忍びなく、「雲隠」という帖名(巻名)だけ挙げて、本文を書かないという実に巧妙な方法を採った(帖名しかないことについては諸説あるが、私はこのように感じている)。
紫式部にとってこの長大な物語を書くことは心の支え、生きることそのものだったのだ。その物語の主役である光君を亡くしてしまったことによる喪失感があっただろう。マラソンに喩えれば「雲隠」でゴールしたという気持ちもあったのではないか。**
いまも上掲した「雲隠」の感想は変わっていない。
『紫式部考』柴井博四郎(信濃毎日新聞社2016年)は「なぜ紫式部は『源氏物語』を書いたのか」という自問に大きなヒントを与えてくれた。紫式部は光源氏亡き後、浮舟に彼の役を引き継がせる。「雲隠」の内容は浮舟の死から再生への道に暗示されている。紫式部は愛しい我が子・光源氏の再生という願いを浮舟に託した。浮舟は入水を決意して、実行する。だが、僧都に発見されて命を救われる。その後、浮舟は出家して仏に救われる。このことは紫式部が光源氏に向けた願いでもあった。
光源氏を退廃した貴族社会の象徴、とまで読むかどうか・・・。読むなら退廃した貴族社会の再生ということになるが。