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「ソラリスの陽のもとに」

2022-06-18 | A 読書日記

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『ソラリスの陽のもとに』スタニスワフ・レム(ハヤカワ文庫1993年23刷) 

■ このSFを初めて読んだのは今からおよそ30年前。その何年か後に再び読んだが、数日前にまた読み始めた。昨日(17日)の朝カフェでも読んだ。名作は何回でも読みたくなるものだ(過去ログ)。

この小説のすごいところは、ソラリスという惑星を覆う海が知的生命体という設定。よくこのような既知の概念を超越した生命体をイメージできたと思う。それから、この「海」がソラリスを観測するステーションの研究者の脳内を検索して、記憶を読み解き、それを目の前に出現させてしまうという設定。

この作品を基にした映画が2回制作されている。1972年にソ連のタルコフスキーによって「惑星ソラリス」が制作され、それから30年後の2002年、今後はアメリカのスティーブン・ソダーバーグによって「ソラリス」が制作された。

「惑星ソラリス」は昔々、学生の時に岩波ホールで観たが、「ソラリス」は観ていなかった。この作品はあまり高評価ではなかったと思うし、それほど話題にもならなかったと記憶している。

昨日、原作の『ソラリスの陽のもとに』を読んでいて、「ソラリス」ことを思い出し、TSUTAYAで借りてきた。昨夕、さっそく観たが「惑星ソラリス」とは全く違う作品だった。当然のことだが。

ソラリスを覆う「海」。タルコフスキーの「海」は、地球の海の実写だろう。CGなど無い時代だ。何かを生み出すという地球の海のイメージ。ソダーバーグの「海」はCGで描かれ、赤紫色。観ていて、この海からは何も生まれそうにないなぁ、と思った。これはもちろん個人的な感想に過ぎない。

主人公・クリスの過去の記憶にある妻のハリー(*1)との交歓シーンとソラリスの「海」によって記憶からつくりだされた、仮想ともいえる「客」のハリーとのステーション内での交歓が交互に描かれる。妻を自殺に追い込んでしまったという自責の念もあるからだろう、クリスは目の前に出現したハリーを愛そうとするし、ハリーもそれに応えようとする。観ていて、この映画が何を伝えたいのか分からなかった。自分なりの解釈すらできず、戸惑っているうちに終わってしまった。

タルコフスキーの「惑星ソラリス」についての感想を過去ログから引く。2016年にDVDで観た時の感想だ。**主人公クリスの脳内検索によりソラリスの海が出現させたのは彼の家族と彼が生まれ育った家とその周辺の姿だった・・・。心の深層にあって忘れ難きは家族と故郷、たとえ地球から遥か離れた宇宙にいたとしても。それが原点ということなのだろう。**

この映画のDVDをもう一度観ようと思う。今度はどんな感想を抱くだろう・・・。


*1 映画では名前をレイアと変えてある。



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