150 春のフォトアルバム 110407 大町市内にて 後方の双耳峰は鹿島槍ヶ岳
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■ このところ火の見櫓観察をしていない。これもTさん提供の写真。
倉庫を櫓の脚部内に納めているので、上方に向かって絞り込みがキツイ。踊り場が櫓の中間より上にあるのも頷ける。ちょうど中間に設けようとすれば、広い床になるから。見張り台の大きさに比して、屋根が小さい。
四角形の屋根、八角形の見張り台、四角形の櫓、この組み合わせはよくあるが、このようなプロポーションはいままで見たことがない。
■ 昨日(3日)の午前中塩尻の「えんぱーく」で朝日、読売、毎日各紙の震災関連、原発事故関連の記事を読んでいた。
「倒壊原因 徹底調査」という毎日新聞3月23日付朝刊の記事に目がとまった。記事によるとニュージーランドのクライストチャーチ付近で起きた地震で倒壊したCTVビルのがれきを回収し、専門家がコンクリートや鉄筋の強度などを調べているそうだ。地震復興相は倒壊原因を究明する独立調査機関に資料を提出するための調査にも着手したことを毎日新聞との会見で明らかにしたという。
このビルでは語学学校に通っていた日本人28人を含む約120人が犠牲になっている。この地震で多くの建物が倒壊しているが、大半は石造やレンガ造で、鉄筋コンクリート造で倒壊したのは2棟だけだったそうだ。「なぜ二つのビルが倒壊したのか、調査の手段が尽きるまであらゆる角度から徹底的に調べる」と復興相が語ったと記事は伝えている。
毎日新聞3月30日付朝刊の「責任追及より真相解明」と題する佐藤優氏の寄稿にも目がとまった。感情的な東電バッシングは国益を毀損するというのだ。それはなぜか、佐藤氏の論拠まではここには載せない。責任追及よりも真相解明を、と佐藤氏が主張するように、ただ関係者の不手際を批難し、責任を追及するだけでは、今回の大災害から後世に残せるような教訓は得られない。
「人災」の原発事故を総合的にそして詳細に検証して欲しい。徹底的に原因を究明し、明らかになったことを開示することは、深刻な原発事故を起こしたこの国に課せられた責務ではないのか・・・。上述したニュージーランドの姿勢といずれ比較されることになるような気がする。
やはり毎日新聞だが、**事故発生直後からの記録を完全な形で残し、その一次資料を、第三者からなる外部の委員会に委ねてほしい。**という大学教授 加藤陽子氏の提言が掲載されていた(3月26日付朝刊)。
記録を完全な形で残すことが可能かどうかは別として、資料を「第三者からなる委員会」に委ねて欲しいということには賛成。原因を第三者が解明しなくては意味がない。それが実行できるかどうかが問題で、このこともニュージーランドの地震で倒壊したビルの調査と比較されることになるだろう。
原発を甘受し、電気をじゃぶじゃぶ(?)使ってきたことを反省する。
原発をやめる? もしやめるなら、電力需要を原発分の3割カットしても成り立つライフスタイルを実践する? そのような社会システム、産業システムを構築する? 代替エネルギーへの転換を図る? 今回の原発事故でつきつけられた課題をどうしよう・・・。
■ 今日(3日)の朝刊の読書欄に掲載されている「売れてる10冊」を見る。『原発を考える50話 新版』、『原子力発電がよくわかる本』、『内部被曝の脅威』、・・・ 5冊が震災、原発関連の本だ。
3月は心静かに本を読むことなどできなかった・・・。
『三陸海岸大津波』吉村昭/文春文庫
再読。三陸海岸を繰り返し襲った津波のリストが掲載されている(60~62頁)。リストは貞観11(869)年の地震に伴う津波から始まり、天正13(1585)年、慶長16(1611)年、元和2(1616)年、慶安4(1651)年、延宝4(1676)年、貞享4(1687)年、・・・、・・・と続く。 原発の津波の想定高さについては、過去の津波の記録、とくに貞観津波の評価、扱いに私はいま関心を持っている。
『津波災害』河田惠昭/岩波新書
帯に「必ず、来る!」とある。**津波は歴史的にくり返し来襲する。過去の津波災害を知ることは未来の津波を知ることに通じる。**(164頁)
淡々と日常生活を続けよう。でも、被災地の復旧・復興に関心を持ち続けよう・・・。
幕末の浮世絵師・歌川国芳の作品「東都三ツ股の図」
■ 隅田川の対岸の塔状の工作物。左の低い方は実在した火の見櫓ではないか、右はスカイツリーだ! としばらく前に話題になった。 位置的にもほぼ一致しているのだとか。これは奇才・国芳の未来予想図か。
川岸でふたりの職人が舟底をいぶしている。防腐効果があるそうだ。
たなびく煙は放射性物質の拡散か?舟が福島第1原発に見えてきた。 いかんなぁ~ 平穏に、平穏に・・・。
148 大町市の郊外にて 写真は火の見櫓ファンのTさん提供
■ 見張り台に白塗りのかわいらしいベンチが据えられていたら、火の見櫓からの転用だとは気がつかないだろう。はじめから遊具としてつくられたものだと思ってしまうだろう・・・。
地元の人たちが完全に撤去してしまうのは惜しいと思ったのだろうか、こんな「延命」もありだ。
『原発事故はなぜくりかえすのか』岩波新書
■ 著者の高木仁三郎さんは原発の危険性について警鐘を鳴らし続けた方だった。この本の発行は2000年の12月のことだが、、高木さんはそのおよそ2か月前に62歳で不帰の人となった。今、お元気なら、今回の原発事故を深く悲しみ、かつ非常に悔しがったのではないかと思う。
私がこの本を読んだのは2001年のことだった。今も書店の書棚に並んでいたら、是非手にとっていただきたい。ここでは各章のこみだしを抜粋して紹介する。
1章 議論なし、批判なし、思想なし:安全神話の崩壊 自己点検のなさ
2章 押しつけられた運命共同体:国家まかせ 大事故の評価 「我が国」という発想
3章 放射能を知らない原子力屋さん:バケツにウランの衝撃 自分の手で扱う 事故調査委員会も化学抜き
・・・
5章 自己検証のなさ:自己検証のない原子力産業 アカウンタビリティー 寄せ集め技術の危険性
6章 隠蔽から改ざんへ:隠蔽の時代 技術にあってはならない改ざん
7章 技術者の変貌:ヴァーチャルな世界 倫理的なバリアの欠如 新しい時代の技術者倫理綱領
8章 技術の向かうべきところ:JOCの事故の意味
巻末に掲載されている高木さん最後のメッセージ↓
http://cnic.jp/takagi/words/tomohe.html
今回の原発事故の主因となった津波。その想定高さをどのように導きだしたのか、それが妥当な値であったのか、きちんと検証して欲しい。