今日は古い友人と会って、熱く語り合った夜。
相手は高専時代の同窓生。
今は母校のデザイン学科の学科長をやっている。
就職難の昭和50年にデザイン学科を主席で卒業して
日産自動車のデザイン部署でスカイラインやシルビアと言った
その当時の人気車種のインテリアデザインを手がけて、
その実績を買われて渡米。
長い海外生活の後に帰国後は、何か目標を見失った感じで
母校に戻って、教壇に立つようになった男。
僕にしてみれば、羨ましいほど恵まれた環境で仕事をしてきた。
僕は同じ設計と言う仕事に携わっているので、
今夜はデザイン論で熱く語り合う。
どんなものを作って、世の中の人の役に立つのか?
『安く物を作る』、『使いやすいものを作る』、『こんなものが欲しい』
に始まり
そのために何を覚えないといけないのか?とか・・・・
結局、仕事のやり方や、取り組み方に行き着くんだけど
とにかく、話し出したらきりが無いくらい熱く話し合った。
『そういえば、俺達は学生時代は口も利いたこと無かったな』
と、お互いの実家が目と鼻の先にあって、同じ町内会。
それなのに、全く交流した記憶が無い。
ただ、お互いの存在は意識しあっていた変な間柄。
僕らの母校は、デザイン学科で持っている学校。
電気工学や機械工学なんていうのは、他の学校でもやっていること。
デザインに関しては、高専で学科としてデザイン学科がある学校。
それだけに、彼の肩には学校の将来を背負っている重いものがある。
僕が最近感じるのは、普通の学校に成り下がってきていること。
かつてはフランス人の校長に始まって、イギリス人の英会話教師、
イタリア人、スペイン人、ポーランド人、ドイツ人と
ヨーロッパ人の訳のわからない教授達が沢山いて、校風も他校とは違っていた。
それが、今は普通の学校と同じように、就職率だとかを意識して
自由な発想、自由奔放な校風が薄れてきてしまって、学生も普通の子ばかりらしい。
俺達、卒業すら危ういくらい遊んでたよね?なんて
完全にオヤジトークになってしまったり・・・・
でも、実際に高校生の分際で、車で通学したりしていた学校だったから
他の学校から見れば、本当に変な学校だった気がする。
そんな話もしながら、900mlの焼酎を二人で飲みきっちゃった。
それで、気がついたらかなり酔っ払っていた。
最後には『近いうちに、仕事で何か仕掛けよう・・・・』
なんて話になって、僕も何かワクワクするものが湧いてきた。
古い仲間と、新しい付き合い。
なんか、そんなフレーズ・・・・あったなぁ・・・