今日は『雇用延長』の希望を出していたのでその件で本社に行ってきた。
結果は予想通り『どの部署からもオファーなし』。
僕にアドバイスを求めてきていたグループ長は
『そんな希望者のリストなんか回っても来ないし、話も着ていない』と言う。
昨日も書いたとおり、今までの雇用延長の人たちを見ていると、
定年のときに居た部署で働いている人ばかりですから、
多分、現場の担当者までそういうリストを回していないのでしょう。
そのグループ長も『何処でそういう判断をするんでしょうね?』
なんて言うほど、会社として『再雇用で人を生かす』
なんて事を考えているとは思えなかった。
会社の事を自分が思っていたほど、会社は社員のことなんか思っちゃいない。
それが現実です。
会社や後輩たちの為になんて、意気がって技術資料を作っていた自分や、
もしかして僕を生かそうとしてくれる部署があるんじゃないか?・・・・・
なんて、何処かで期待をしていた自分が何だか滑稽に思えて、笑っちゃいました。
それと同時に、僕がこの3年間ぶらぶらしているのを知って『勿体無い』とか
言ってくれた人が沢山居たけれど、その殆どは社交辞令だったと言うことも判った。
これについてはちょっと失望しましたね(笑)
仲が良くても、他人のいうことを、額面どおりに受け取っちゃいけない・・・・
ということをまた学習しました。
つまらなくなったら、いつでも辞めるつもりで入社した会社。
28年も続いたのは、仕事が面白く、楽しめたと言うことですね。
最初は本当に3,4年続けばいいかなって思っていました。
それが6年ほど続いて、手柄を横取りする上司と合わなくて、
その時点で会社を辞めようかと思っていた。
ちょうどその時、他部署から応援依頼があって、誰も手をつけずに
1年以上ほったらかしになっていた大学の実験機の開発を、
僕が請け負ったのをきっかけに、高電圧技術に足を踏み入れることになった。
それも2年間、勉強しながら苦しんで何とかものにしたのを評価され、
会社のメイン部門に引き抜かれ、異動することになった。
そして、憧れていた会社の広告塔みたいな装置の担当に・・・・
運が良かったですね。
その時に僕を引っ張ってくれた上司に巡り合ったという幸運です。
その後はそのF1みたいな、会社の装置の電源開発に没頭した。
耳を塞ぎたくなるような、『キーン』という3KHzの動作音を無くすために、
可聴周波数から外れた20KHzの周波数で動作する電源にチャレンジした。
20年以上、誰も手をつけなかった仕事。
基礎実験は、その後盟友となった会社で唯一の親友Kがやっていてくれた。
僕はその実験を引き継いで、商品化のために3年間を費やした。
その実験機が出来たときに、既に受注されていたことが発覚。
これで、時間的な制約まで加わって、それからが大変だった。
ただ動けばいい電源から、安定して動かなければならない商品にするには
色々と問題が出てきて、胃が痛くなるような日が続いた。
時間的な問題が有るから、解決策を考えては夜中まで作業したり・・・・
たった一人で、よく頑張ったなぁって思う。
そういう経験を、その後も何度かしてきたから、問題点はきちんと技術的な
裏づけをするようになったし、そういう環境が当たり前になった。
技術者としてのマインドは、そういったことで育まれてきた気がする。
そんな僕だから、言われたとおりにやっていれば成果を出したように見える
『サラリーマン技術者』には鬱陶しい存在なのでしょう。
そういう連中に干され、定年前の3年間は時間を潰すだけの無駄な3年になった。
会社として『人を生かす』なんて発想が無いのだから、それも当たり前。
それが確認できたから、むしろスッキリしました。
この会社に居ても、僕には楽しい時間はもうやって来ない。
そう思いました。
これで、心おきなく定年後の生活をスタートできます。
今日は技術資料の半分をシュレッダーにかけて、
パソコンの技術資料やデーターも殆ど消去しました。
明日から9連休の夏休み。何も考えず楽しく過ごせそう。
休み明けから、10月中旬までの2ヶ月で身辺を整理するつもりです。
その後は残っていた有給休暇の消化で、定年の日を迎えます。