そろそろ、次の話をちょっとしましょうか。
去年は会社以外の所で、色々とあって、何だか凄く濃い一年でした。
雇用延長の希望を出していたけれど、どこからもオファーがなかったと聞いて、
その日のうちに希望を取り下げた。
以前から定年後でも良いから来てほしいと、友人のオファーを受けていて、
その会社がある山梨に、何度か足を運ぶようになりました。
その会社の創業者である会長に初めて会ったのは実は4月。
この時はまだ、社内でオファーがあったら、断るつもりだったけれど、
とりあえず休暇を取って、この会長に会いに行った。
この会長、山梨県では知る人ぞ知るという御仁。
先だって、ノーベル賞を受賞した大村智先生とは同県で昵懇の仲。
事業の方はワンマン経営で、色んな事業に手を伸ばしているが、
いくつもある会社で履歴書を見て、気になる人間は自分で履歴書に目を通し
気に入らない人間は面接すらしない。
逆に気に入れば、面接をして採用されるという。
それくらい社員一人一人の事を気にしているのかも知れない。
僕が初めてこの御仁を訪ねた時に、面接担当の専務が僕を見てギョッとしたそうだ。
その理由は『ひげ面』だったこと。
会長はとにかく髭が大嫌いで、会社も髭を禁止しているほど。
前日にも、髭が生えているだけで面接に来た人を門前払いしたという。
そんな訳で、僕は帰り支度をしていた矢先だった。
専務が戻ってきて、僕の書いた履歴書の趣味の欄を見て会うと言っているらしい。
これには専務も驚いたそうで、この時点で何かがあるなと予感したそうだ。
趣味の欄には『サッカー、音楽、演劇、フラワーアレンジ』と書いた。
会長曰く『変わり者』と映ったらしい。
その面接では、なぜか髭のことを避けるように一切話さない。
僕のやってきた仕事の経歴も、殆ど訊いてこない。
そこで僕の方から『なんで髭が嫌いなのか?』と質問した。
会長は『Jリーグのサッカー選手が金髪や髭を生やしていて、好きじゃない』らしい。
見た目がだらしないと感じるらしいのだ。
僕はその答えを聞いて『じゃぁ、私は会長の一番嫌いなタイプですね』
と言ったら、会長は大笑い。僕は会長に
『髭を生やして居る人間は、毎朝髭を剃るんですよ、髪の毛を染める奴も一緒です』
と話し、さらに僕は調子に乗って
『無精ひげや、フケだらけの髪の毛の方がよほどだらしないです』
と言ったら、会長が妙に納得したような笑顔を見せた。
そうしたらすかさず『で、いつから来れるんだ?』と真顔で唐突にいう。
『いや、今日はこの会社を私が面接しに来たので…』
と答えたら、ここでも会長は大笑い。
面接室ではなく会長の部屋で、普通は30分の面接を1時間半も・・・・
内容はほぼ、雑談と世間話。
楽しかったし、何だかこの御仁との出会いに運命を感じた。
その後、事あるごとに、ひと月に一回は山梨に呼び出された。
8月に行ったときには、まだ僕はこの会長の世話になるかどうか?迷っていた。
本社から、子会社に異動して人間関係が煩わしくなって、
また、誰かと関わって嫌な思いをするならやめとこうかなって・・・・
そんな僕を見透かしたかのように、会長が僕にこう言った。
『何を迷ってるんだ?芸術てぇのは、ゴチャゴチャ考えずにやるんじゃないのか?』
その言葉の意味が、最初はよくわからなかった。そうしたら
『私は自分が変わり者だから、変わり者が好きなんだ。
変わり者が居ないと会社なんてものは変わらないんだよ』
この一言で、断る理由が無くなっちゃった。
それ以来、会長はオファーをくれた友人と社内で会うたびに
『あの髭は何やってる?』と、必ず訊くそうです。
髭が認知された、唯一の人間だそうです。