今日は本社で同じ部署にいたKと、夕方から一杯やりに出かけた。
僕は普段は殆ど酒を飲まないし、自宅では正月以外は一滴も飲まない。
酒が嫌いなわけじゃないが、一人で飲んでも美味しく感じない。
酒が好きと言うよりも、酒を飲む雰囲気が好きなのだ。
在職時は『ハゲを増す会』『秘密部隊』『谷中組(弟子と一緒)』
と何かと会を仕切って、ワイワイガヤガヤ、ダラダラ飲みする仲間が多かった。
ある程度の人数で飲むのが一番楽しいですね。
でも、そんな中でもいわゆる『さし』、一対一で飲む仲間が3人居た。
一人は本社の常務。この人とは入社時から一緒に開発をしていた。
彼はこの3年間、僕をサポートしてくれながら苦言も沢山頂いた。
もう一人は『ハゲを増す会』の一員、資材本部長のH。
この男は組合の役員時代から、仲が良くなってたまに二人きりで飲みに行く。
そして最後の一人が今日の相手K。
Kとは去年の7月くらいから、『さし』で飲もうと言っていた。
約束の日に僕が入院してしまったり、その後は僕が海外旅行へ出かけたり
定年前の休暇中も、何となくチャンスを逃し続けて僕が定年を迎えてしまった。
それでもKとは連絡を取り合って、今日に至ったという訳。
Kとは本当に『腐れ縁』と言う言葉がぴったりする。
Kは20代にアメリカ駐在を経て、帰国して設計部門に引き抜かれた。
そしてKが最初に出会ったのが、僕の最初の部署でやっていた、
LEEMという国プロ(大学が国家予算を貰って行う研究)の装置。
その装置の電子レンズの回路を、他の装置から移植する仕事が担当だった。
製造部門から、海外駐在帰りの身でありながら、本社の花形部門に配属になったKを
その頃の僕はちょっと妬んでいたのかも知れない。
彼にすれば、設計の事が何もわからない状態で国プロの担当になり、
さぞかし悩み、大変だっただろうと今になってみれば思う。
そんな事を若かったころは気遣う余裕もなかった。
Kの設計の不具合をフォローしなければならないイライラも手伝って、
僕はKの事を、相当叩いたらしく、Kは僕を『怖い存在』と思っていたらしい。
その後、Kは僕の会社人生で最高の功績と言われた『超高圧電源』の試作を、
一人で実験室に籠りこつこつとやっていた。
数年後、僕はLEEMでの実績を買われ花形部門に異動となった。
その時に上司だった『生き字引様』と、Kは何かと折り合いが悪く、
僕が配属になるのを受けて他の装置の担当へ変わった。
多分、僕が引き抜かれたのはそのせいだったのだろう。
『超高圧電源』の試作を僕が引き継いで、僕は基礎実験から電源装置の試作、
そして、その電源を搭載した超高圧電子顕微鏡の製品化を受け持った。
そういう意味では僕の功績の半分はKがやったと言って過言ではない。
その時Kは『製品化する能力は自分にはなかった』と自嘲した言葉を僕に言ったが、
本心は悔しかっただろうと、僕はKの気持ちの優しさに心揺さぶられた。
その後は、初めてのCEマーキング取得のために、二人が借り出され
シールドルームの必要性を説いて、会社にシールドルームが作られた。
そして、本社で最後の仕事となった超高分解能の分析顕微鏡の、
電子レンズ回路をKが、僕が高圧電源を受け持って高性能の物に改良して行った。
この時はお互いに『性能が出ないのはお前の回路のせい』と言いながら
こっそりと改良しては、お互いの鼻を開かすような姑息な手段(笑)をとり、
切磋琢磨しながら、お互いの性能がどんどん上がり、
最後は信じられないような性能を出すことが出来た。
それでもお互いに『生き字引様』には気に入られず、干される羽目に・・・・。
Kは10年近くの間、干されながら若手の育成を地道にやってきた。
僕は短気なので、弟子二人を放り出して部署を出た。
弟子たちは、それまで教えたことを引き継いで勝手に育ってくれた。
定年後、僕は新しい会社で設計者を集め、育てる仕事を託された。
Kの事が心配で、本当に嫌になったら今度の会社に来てくれと伝えたが
Kは『とにかくあと3年、今の会社で頑張る』と僕に言った。
本当に頑張る男です。
こんな男が、他人の褌でのし上がった事を伏せて、自らを『生き字引』なんて、
恥ずかしい事を大声で言うような男に干されてしまう、そんな会社が恨めしく思った。
でも、今日は久しぶりに共通の趣味である音楽の話や、車の話、
海外旅行の自慢話をお互いに言い合って、ずいぶん飲んだ。
僕の『盟友』と呼べる男は、この男だけですね。